香川真司がプレーすることになる町、サラゴサ
日本代表MF香川真司がスペインのセグンダ・ディビシオンAでプレーするレアル・サラゴサへ移籍することが決まりました。
2010年にドイツ・ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントに移籍し、移籍初年度を含めたリーグ2連覇に貢献。2012年にはイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、ハットトリックを達成するなど一定の結果は残したものの、サー・アレックス・ファーガソン退任後に就任したデイヴィッド・モイーズ監督の起用法とのミスマッチから満足な結果を残せず、最終的には2014年にドルトムントに復帰。
2019年1月にトルコのベシクタシュにレンタル移籍し半年で4ゴールを記録していましたが完全移籍には至らず、2019−2020シーズンに向けて移籍先を探していました。
香川は以前からスペインのラ・リーガ・サンタンデールでプレーしたいとの希望を持っていたと言われており、一時期はプリメーラ・ディビシオンのセルタ・デ・ビーゴと交渉中とも報じられたもののセルタはこの報道を完全否定。
このままドルトムント残留が決まるかと思われていたところ、周囲からすれば電撃的にセグンダAのサラゴサへ2年家役での移籍が決定しています。
サラゴサについて
サラゴサはスペイン北東部にあるアラゴン州の州都。
バルセローナから西へ約200km程度の場所に位置する町です。
人口は約66万人で、1日あたりの平均気温は2℃(冬)〜25℃(夏)前後。
スペインの首都マドリー、経済面で大きな影響を持つバルセローナ、工業の中心地ビルバオ、地中海側の中心都市バレンシアなどのスペイン国内の主要都市いずれからも300km圏内に位置することから利便性も高く、フランス国境へのアクセスも良いことから交通の要衝として大きな影響力を持つ町です。
そのことから軍事的な拠点としても使用されており、スペイン空軍の本拠地としてサラゴサ空軍基地が使用されている他、アメリカ合衆国空軍のスペインにおける拠点もサラゴサに置かれています。
また1935年から本格化するスペイン内戦(市民戦争)勃発後は1936年に国家治安警備隊グァルディア・シビルの本拠地が置かれ、その後1987年にはグァルディア・シビル本部を狙ったETA(Euskadi Ta Askatasuna=バスク祖国と自由)による爆弾テロの標的にもなっています(計11人が死亡)。
経済的には伝統的にアラゴン州において農業が中心でしたが、近年は製造業を中心とした工業への転換が進められており、2008年にはサラゴサ万国博覧会が開催され、「水と持続可能な発展」をテーマにしたエコ万博として注目を集めました。
このテーマはアラゴン州を流れ、サラゴサの水源となっているエブロ河が市内を流れていることに由来しており、現在サラゴサ市内ではバルセローナなどと同様に公共のレンタル自転車システムが発達しつつあるなど、環境に配慮した都市であることを内外にアピールする動きが活発です。
サラゴサの文化
宗教
サラゴサは伝統的にカトリック文化の町です。
サラゴサの中心部にはヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール大聖堂がそびえ立っており、1681年から1872年にかけて建造された現在の大聖堂はサラゴサのカトリック文化におけるシンボルとして親しまれています。
ピラール大聖堂の名前は、スペインにキリスト教をもたらしたカトリックの聖人ヤコブの前に聖母マリアが現れ、その際にマリアが降り立ったのが石柱(スペイン語でピラール)だったことに由来しています。
この日が10月12日だったという伝承が残っており、この10月12日はクリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)がアメリカ大陸に到達した日と偶然にも一致していることもあって、アメリカ合衆国において10月12日がコロンブス・デーとして祝われているのと同様、スペイン及びラテンアメリカ諸国ではDia de la Hispanidad(ヒスパニック・デー)と呼ばれる祝日として祝われています。
サラゴサではこの10月12日をメインとした祭礼「Fiestas del Pilar(ピラールの祭礼)」が毎年9日間に渡って行われることで有名です。
言語
基本的にサラゴサを含めたアラゴン州全体で話されている言語及び州公用語は標準スペイン語であるカステジャーノですが、カステジャーノのアラゴン方言(アラゴン語)が話されていたり、東部がカタルーニャ州と隣接している関係でカタルーニャとの隣接地域においてはカタルーニャ語も一部話されています。
古代においてはアラゴンとカタルーニャの連合王国が存在していたこともあり、アラゴン州旗とカタルーニャ州旗はよく似ていますが、アラゴン語とカタルーニャ語は全く違うものです。
レアル・サラゴサについて
サラゴサの町を本拠とし、香川真司が今後プレーすることになるレアル・サラゴサは1932年創立のクラブです。
スペインの国内リーグ戦では優勝経験がないものの、コパ・デル・レイでは6度の優勝回数を誇っており、またヨーロッパのカップにおいても1994−1995シーズンのUEFAカップウィナーズ・カップ、UEFAカップの前身であるフェアーズ・カップで1度ずつ優勝経験があります。
スペインでは1928年にプロサッカーの全国リーグが始まっていますが、サラゴサが初参加したのは1932−1933シーズンから。現在のセグンダ・ディビシオンBに相当するテルセーラ・ディビシオン(現在は実質4部リーグの扱い)からの参戦となっていました。
ホームスタジアムはエスタディオ・デ・ラ・ロマレーダ。収容人数34,596人と「中の上」程度の収容人数を誇ります。
レアル・マドリーのサンティアゴ・ベルナベウやバルセローナのカンプ・ノウ、バレンシアのメスタージャとは異なり傾斜が緩く、とはいえ2階席からもピッチが近く感じられるという不思議な雰囲気のスタジアムですが、1階席の前方は屋根に覆われていないため雨が降ると1階席前方からはよく人がいなくなります。
ファンはなかなかに熱狂的で、サラゴサに深い愛情を注いでいます。
ゴールが決まるとスタジアム中が怒涛のような歓声に包まれ、2階席の屋根に反響した歓声がそのまま1階席とピッチに降り注ぐような構造になっているため得点シーンではしびれるような熱狂を感じることができるスタジアムだと思います。
歴代の所属選手達
現在は2011年に適用された倒産法の影響を受けて経営再建の最中、且つセグンダAに所属しているためかつて程の有名選手は所属していませんが、過去には以下のような錚々たるメンバーが所属していたことでも知られています。
GK |
ホセ・ルイス・チラベル(元パラグアイ代表) セサル・サンチェス(元スペイン代表、元レアル・マドリー) |
DF |
アンドレアス・ブレーメ(元西ドイツ&ドイツ代表) カフー(元ブラジル代表) キケ・サンチェス・フローレス(元バレンシア監督) ガブリエル・ミリート(元アルゼンチン代表) カルロス・ディオゴ(元ウルグアイ代表) フアンフラン(元スペイン代表) ジェラール・ピケ(現バルセローナ) ロベルト・アジャラ(元アルゼンチン代表) フランシスコ・パボン(元レアル・マドリー) |
MF |
フランク・ライカールト(元オランダ代表、元バルセローナ監督) キリ・ゴンサーレス(元アルゼンチン代表) グスタボ・ロペス(元アルゼンチン代表) サヴィオ(元ブラジル代表) アルベール・セラーデス(元スペイン代表、元バルセローナ) パブロ・アイマール(元アルゼンチン代表) アンドレス・ダレッサンドロ(元アルゼンチン代表) アンデル・エレーラ(元マンチェスター・ユナイテッド、現パリ・サンジェルマン) |
FW |
ホルヘ・バルダーノ(元アルゼンチン代表) フアン・エドゥアルド・エスナイデル(元アルゼンチン代表、元ジェフユナイテッド市原・千葉監督) フェルナンド・モリエンテス(元スペイン代表、元レアル・マドリー) サヴォ・ミロセヴィッチ(元ユーゴスラヴィア代表) ダビ・ビジャ(元スペイン代表、現ヴィッセル神戸) ディエゴ・ミリート(元アルゼンチン代表) |
また、かつて指揮をとった監督の中には元日本代表監督のハビエル・アギーレがいたことでも知られています。
セグンダAにいるからといって「弱い」というわけではなく、きっかけがあれば浮上できる力を持ったクラブであることは間違いなく、地元出身でファンとクラブの関係性なども熟知したビクトル・フェルナンデスを三度監督に迎えており、セルタ同様に経営危機からの再建と巻き返しを図ろうとしているクラブです。
指導力と標榜するサッカーの戦術には定評のあるビクトル・フェルナンデスの元で、香川が再び輝きを取り戻し「サラゴサの英雄」としてプリメーラ・ディビシオン昇格を成し遂げる日がいつになるのか、日本人としては楽しみでたまりません。
現地観戦について
サラゴサへ行き、現地で香川のプレーを観戦したいというファンの方もいると思います。
サラゴサへの行き方としては、恐らく下記の方法が最も楽で早いでしょう。
- 成田空港→マドリー(イベリア航空直行便)→国鉄RENFE(AVE利用)でサラゴサ
- 成田空港→バルセローナ(どこかで乗り継ぎ必要)→国鉄RENFE(AVE利用)でサラゴサ
以前に書いた現地観戦ガイドのリンクも合わせてご紹介します。
サラゴサは旧市街、ピラール大聖堂近くの路地裏に昔ながらのバルが固まっており、スペインのバル文化も楽しめる、落ち着いたいい街です。
バルセローナからはスペイン版新幹線AVEを使えば1時間半程度で行ける距離なので、4泊ほどの旅程が組めるのであればバルセローナ+サラゴサでのサッカー観戦と観光が楽しめる旅ができると思います。