セルタ・デ・ビーゴの新練習場「シダーデ・デポルティーバ・アフォウテッサ」竣工式の様子をお伝えするシリーズ第3弾。
今回はアフォウテッサが建設されたビーゴの隣町、モス市の市長ニディア・アレーバロのスピーチを紹介します。
モスという町について
前々回の記事でも書いたように、モスはビーゴの経済圏に入っています。
つまり町としての規模的にビーゴに経済を依存しているのが現実です。
ビーゴはガリシア州最大かつ最良の都市であり、つまりそれはガリシアにおいて最も経済的に発展し周辺都市圏に多大な貢献をしている町がビーゴであることを意味します。
ビーゴの周辺都市と言えばレドンデーラやポンテベドラ、オウレンセなどが挙げられますが、それらの町は人口規模的にも産業規模的にも単独で自立できています。
レドンデーラは交通の要所として。
ポンテベドラ、オウレンセはそれぞれ観光業なども経済の主軸として確立しています。
しかしモスはそうではありません。
人口わずか15,000人。
豊かな森林とかすかな地場産業以外に目立った主力産業もないモスにとって、隣に位置するビーゴの工業・商業は生命線であり続けていました。若者はビーゴ大学に通い、大人たちもビーゴの企業に出勤する。
モス市民の生活基盤はビーゴによって支えられてきた一面があると言っても過言ではありません。
そんな中で持ち上がったセルタの新しい練習場建設予定地の話は、モスにとって非常に大きな意味を持っていました。
ガリシアという自治州にとってセルタは最大のプロスポーツクラブです。
30,000人を超える株主と年間チケット保持者を抱え、9年間連続でスペインサッカー最高峰のラ・リーガ・サンタンデール一部リーグ、プリメーラ・ディビシオンでプレーしています。
現在のガリシアにはセルタを超えるチームは無いと言っても過言ではなく、過去10年以上に渡る地道なローカル・マーケティング活動の結果としてビーゴ周辺都市圏のみならずガリシア州北部にもセルタのファンコミュニティーは広がっています。
生活圏を共にし、経済圏として一体化するビーゴにおいて、最大のプロサッカーチームであるセルタと市当局が施設の建設を巡って揉めている。
セルタが求める建設地を、モスなら提供できる。
モスにセルタの施設が恒久的に存在することにより、ビーゴからの往来が活性化し、建設計画上はセルタの施設に関連する雇用がモスに生まれる可能性が高い。
そういった状況においては、モスがこの話に乗らないという選択肢はなかったと言っていいでしょう。
ラ・リーガを含めたスペイン国内のプロスポーツにおいて居場所の無いモスとしては、巨大スポーツ産業の一端を担える千載一遇のチャンスが巡ってきたという扱いの話だったのです。
モス市長ニディア・アレーバロのスピーチ
ご参集の皆さま、親愛なるセルタ会長カルロス・モウリーニョ氏、ようこそおいでくださいました。
州政府首相のお力添えも頂いた中、この場所、この素晴らしい場所に皆さまをお招きできたことを心からうれしく思います。
セルタとモスが共に抱いた夢は今、まさに現実のものとなりました。
1年前の11月29日、この「アフォウテッサ」が着工されたのは土曜日でした。
1年かけて私達の夢は現実になったのです。
しかし私達にはまだ多くの夢があります。
セルタの空色のシャツ、そして空色の旗がこの地に多くのものをもたらすという未来が訪れる夢です。
この計画がスタートした時、誰もがこの現実を明確には想像できませんでした。
「我々はどこへ辿り着こうとしているのか?」誰にもわかりませんでした。
それが1年前の状態だったのです。
それでも私達はこの現実を手に入れました。
私達はここ、シダーデ・デポルティーバ・アフォウテッサに立っています。
優れた建築士達と、優れたスポーツ産業の専門家によって生み出され、ヨーロッパ最高峰の施設となるべく環境に配慮され、持続発展性を併せ持った施設です。
これからの歴史は全てこの地から始まるのです。
モウリーニョ会長、フェイホー首相、モス市職員の皆さんの尽力によって、セルタとモスが手を携えて紡ぐ新たな歴史が始まります。
特筆すべきことが一つあります。3年前にこの計画が話し合われ始めてから多くの会合が行われ、さまざまな議論が展開されてきました。
数多くの意見、数多くの解決策が提案されてきました。
その全ての過程において、セルタはセルタの。モスはモスの。そして州政府は州政府の、それぞれの責任と発言への敬意を忘れずに歩んできたのです。
発言や行動に責任を取らない人々を差し置き、私達は成すべきことを成し遂げたと言い切ることができます。
今日に至るまでの道は決して平坦なものではありませんでした。
しかし、私達はいくつもの障害を一つ一つ乗り越えることでこの場所までたどり着くことができたのです。
自分達が持つ目標や、乗り越えるべき課題に対して真摯に向き合い責任を果たし続けてきた結果だと断言できます。
このパンデミックのさなかに、今日この新練習場を竣工できることは本当に幸運なことだと思います。
ビーゴに、モスに、そしてガリシアには新鮮な話題と空気、この施設のような希望に満ちたプロジェクト、未来と経済を運んでくるプロジェクトが必要です。
ただし、それは単にビーゴやその周辺都市圏だけのためではありません。
希望を運ぶプロジェクトは常にガリシアのためであり、隣人たちのためでもあるべきなのです。
このプロジェクトを通じてモス周辺には1,000万ユーロ以上の経済効果が生まれました。
それ以上にもこれまでになかった経済効果が今後見込まれることになります。
それだけでは終わりません。
私達がこの場所から歩んでいく先には、まだまだ多くの希望が残されています。
サッカーというスポーツを通じて、多くの価値がこの周辺にもたらされる未来が待っているのです。
ここにいる私達が共有するゴールは一つです。
ただし、嘘をつく人々や他者を利用しようとする人々とは異なるものです。
私達が良き隣人たち、友人たち、そしてモウリーニョ会長とともに目指しているゴールは、セルタとモス、そして州政府が目指す価値観を体現するものだからです。
セルタとモスが目指すゴールは、ガリシア州政府の助力なしには実現しないものです。
フェイホー首相には今後も助力と協力の継続をお願いしたく思います。
モス市とガリシア州政府は価値観と倫理観を共にするものと確信しており、このことにより両者は共通のゴールを目指すことができるものだと断言できます。
未来に向けて目指すべきゴールは、ガリシアのものであり、同時にモスのものでもあります。
現在私達が置かれた状況は大変に厳しく困難なものです。歴史に刻まれるほどの難しい状況の中で、市民の健康、安全を維持するために尽力されている全ての方々に対して、市長としてお礼を申し上げます。
モスは長きに渡りビーゴと密接な関係を保ってきました。
ガリシア最大の都市ビーゴは周辺都市圏をリードする町であり、そのインフラや経済圏は私達がいるこの地域にとって重要なものであり続けています。
道路、空港、港、どれをとってもビーゴのインフラは周辺都市圏に欠かせないものです。
私達モス市民は、労働者としてビーゴ経済の一角を形成する存在であり、ビーゴの産業界に対して常に応えてきました。
その中で、このプロジェクトは歴史上初めて、モスがビーゴ経済圏の中で象徴的な存在として語られるものとなったのです。
私達自身もビーゴ経済圏の一員であり、モス市としてこの偉大なプロジェクトに携わったのだと、後世まで語り継がれることになるでしょう。
今日この日から、ガリシアで最も重要なクラブであるセルタ・デ・ビーゴの練習場はモス市に移り、セルタが私達モスというファミリーの一員になるのです。
97年の歴史を誇り、モウリーニョ会長に率いられるセルタの中にはブライス・メンデスとルベン・ブランコという2人のモス出身者がいます。なんと誇らしいことでしょうか。
私は市長としてこの歴史的な瞬間に立ち会えていることを誇りに思います。
今日というこの日は、この先私達の子どもたちにずっと語り継がれていくことになるのです。
私達に寄り添ってくれた隣人たち、私に市長としての権限を与え、このプロジェクトを推進することを許可してくれたモス市議会の面々、1年半以上に及ぶプロジェクトを通じて信頼と協力、そして助力を惜しまず共に歩んでくれたすべての人々に重ねて感謝申し上げます。
私の市長としての決定を尊重してくれたセルタ・デ・ビーゴに感謝します。
モス市長としての決定に助力と協力を惜しまなかったガリシア州政府に感謝します。
この偉大な建設計画を推進するための条例改正に賛成してくれた全ての方々に感謝します。
皆さんのおかげで私達の子供たち、私達の孫たちに語り継ぐべき偉業を成し遂げることができました。
次の言葉をもって私のご挨拶を終わらせて頂きます。
¡¡ Hala Celta !!
そして
¡¡ Hala Mos !!