【エイバル】日本代表MF乾貴士、霧雨けむるイプルーアへの帰還。

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乾貴士は再びイプルーアでのプレーを選択

ベティスの日本代表MF乾貴士は、2018年までプレーした古巣のエイバルへ移籍することが決定しました。

2018年のロシア・ワールドカップ前にエイバルからベティスへの移籍が決定していた乾は、ワールドカップでの鮮烈な2ゴールが評価されベティスでの活躍が期待されていたものの、当時のベティス監督キケ・セティエンからの信頼を満足に得ることが出来ず、2019年1月にアラベスへレンタル移籍。

当時アラベスの指揮をとっていたアベラルド・フェルナンデス・アントゥーニャからの信頼と評価を勝ち取りスタメンでプレーする機会を取り戻していました。

アベラルドがアラベスを退団することが濃厚になってからは、アベラルドはベティスの監督に就任し、アベラルドに高く評価されている乾がベティスで再びチャンスを得られるのではないかとの憶測もありました。しかし結局ベティスの監督には昨シーズンまでエスパニョールを指揮していたルビが就任。

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スペイン代表監督ルイス・エンリケの辞任問題が同時期に話題に上がっていたこともあり、ベティスの監督にルビが就任したことからアベラルドがスペイン代表監督に就任するのではないかとも噂されたものの、結局ルイス・エンリケの後任にはスペイン代表第2監督だったロベール・モレーノが就任しました。

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仮にアベラルドがベティスの監督就任のオファーを受け取っていて、そのままベティスの監督に就任していたとした場合は、たしかに乾にとっては好都合な状況になったことが予想できますが、現実はそうではありませんでした。

一方でアベラルドは次のキャリアがまだ発表されておらず、この点については別の話題として気になるところではあるのですが、現時点ではたしかな情報がないので引き続き探っていきたいと思っています。

乾がエイバルに復帰することの意味

サッカー選手の移籍には様々な事情や思惑がつきものですが、乾の場合を考えた場合は何がエイバル復帰を決断させ、そこにどんな意味があったのでしょうか?

言葉の問題

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先日の記事「【ラ・リーガ】過去と現在から久保建英の語学力が持つ「可能性」を考える」の中で、僕は久保建英が持つ「日本人として」圧倒的なスペイン語力が久保の今後のキャリアに大きな好影響を与えるはずだという趣旨の文章を書きました。

そして同じ記事の中で過去にスペインでプレーした日本人選手達が辿ってきた道のりについても見聞きした範囲で事情を紹介しました。

そもそも乾がベティスでキケ・セティエンから全幅の信頼を得られなかったのはなぜなのでしょうか。

プロのサッカー選手である以上はプレーを通じて「結果」を出すことが求められるものであり、サッカー選手がチームにもたらすことのできる「結果」とはゴールであり、守備であり、そして何よりもチームの勝利であることに疑いの余地はないでしょう。

では乾はベティスでチームに貢献できないと判断されたのでしょうか?

僕はそうではないと思っています。では何が?

プロのサッカー監督ともなれば当然それぞれに哲学や戦術理論があるものです。中には1メートル単位で選手が動く範囲を定め、その範囲内でのみプレーする理由を説明し要求する監督すらいます。

キケ・セティエンがそのようなタイプだったかどうかはさておき、少なくとも乾にとってキケ・セティエンの要求するプレーや指示内容は、理解することに一定の困難を伴っていたであろうことは容易に想像できます。

食事を頼む、物を買う、簡単な冗談を言う、という程度の日常会話レベルのスペイン語は乾も身に付けていただろうことは、数々の動画を見ればある程度わかります。

つまり「短文の単文」は理解でき、伝えることができていたはずだと僕は思っているのですが、1秒毎に切り替わるプロサッカーの試合中にはもっと複雑なコミュニケーションが必要となる場面が度々起こりえます。

そしてそのコミュニケーションを成立させるためには日々のコミュニケーションが欠かせません。

「スペイン語が理解できていないから」という理由だけで乾がキケ・セティエンから評価・重用されなかったとはもちろん僕も考えていませんが、一つの要因であったことは間違いないと思っています。

ではなぜ乾はアラベスでアベラルドに評価され、プレーの機会を与えられたのでしょうか?

状況と環境の問題

一つには、アベラルドがアラベスで必要としていたタイプの選手であったことが大きいでしょう。サイドプレーヤーとして非凡な才能の持ち主である乾に匹敵する選手を、アラベスは抱えていませんでした。

そしてアベラルドはアラベスのチーム力向上のためにサイドプレーヤーを必要としていました。つまり乾本人の能力はもちろんのこと、アラベスとアベラルドが乾の特徴や能力を必要としている状況があり、「需要と供給」が成り立っていたからだと言えるでしょう。

実際にアラベスに移籍してからの乾は水を得た魚のようにいきいきとプレーをすることができ、久々にゴールを決めてクラブからもアベラルドからもファンからも高く評価されることになりました。

ではエイバルではどうだったのでしょうか?現在よりも恐らくスペイン語力が乏しく、初めてプレーするスペインにおいて3年に渡りプレーしたエイバルで、なぜ乾はあれだけ評価される存在たり得たのでしょうか?

理由の一つにはエイバルのクラブとしての規模があったでしょう。エイバルという町の規模も影響していたと考えられます。

エイバルはスペイン北部バスク地方にあり、西にビルバオ、東にサン・セバスティアン、そして南をビトーリアに囲まれた山間の小さな町です。

人口はわずか27,000人に過ぎず、ホームスタジアムであるエスタディオ・ムニシパル・デ・イプルーアの収容人員はプリメーラ・ディビシオン最少の6,267人。イプルーアが満員になった場合、町から約4分の1の人が2時間消えることを意味しています。

そしてスペイン北部の特徴の一つに、人々の性格があります。

スペイン北部の人々とは

「情熱と太陽の国」というキャッチフレーズで語られることの多いスペインですが、それはあくまでも南部アンダルシア州を中心とした表層的なイメージに過ぎません。

例えばセルタ・デ・ビーゴのある北西部ガリシア州は雨が多く曇り空が晴れない日もあり、ガリシア人はどちらかというと保守的な一面があります。

北中〜北東部にかかるバスク州に関しても同様で、雨も多く、曇り空の日は真夏でもひんやりとした気候になることがしばしばあります。更に人々は保守的で、伝統的な生活様式を大切にする性格でもあります。

よくある「開放的でラテン系のスペイン人」というイメージは、バスク人にはさほど当てはまらず、どちらかといえば冷静沈着、質実剛健、おまけに少し頑固で真面目であるがゆえに打ち解けるまでに時間がかかる部分があると言えるでしょう。

わかりやすいバスク人のイメージで言えば、元スペイン代表監督のハビエル・クレメンテを思い浮かべればわかる方にはわかると思います。

とはいえ、だからといってバスク人が気難しく付き合いにくい人種なのかというと決してそういうわけでもありません。

観察眼に優れた彼らは、言葉少ないコミュニケーションだったとしても目の前の人物の立ち振舞や表情、身振りや行動姿勢などを冷静に見定めて自分の中で一定の評価を下し、工夫した形でのコミュニケーションを図ることで相手を理解しようとするある意味での柔軟性も持ち合わせています。

ホセ・ルイス・メンディリバル・エチェベリーア監督の存在

乾にとってスペイン初の加入クラブがエイバルで良かったと思われるのは、こうしたバスク人の気質がある程度日本人には馴染みやすいものでもあり、なおかつエイバルの監督が上記の特徴を持つバスク人であるホセ・ルイス・メンディリバル・エチェベリーアであったことでしょう。

メンディリバルはもともとサイド攻撃を好むチーム作りをする監督であり、その意味で乾の特徴を活かせる土壌はエイバルに整っていました。

なおかつスペイン国内でも「理解に苦しむ」と揶揄されるほど一風変わった文化や価値観を持つバスク人であるメンディリバルにしてみれば、同じく「東洋の風変わりな文化を持った男」である乾は興味深い存在として映った可能性も否定できません。

「風変わりな文化を持ちつつも、卓越した技術を持ったサイドプレーヤー」としてメンディリバルと対面した乾に対して、メンディリバルは最初に「どうやってこいつを使いこなそうか」と考えたに違いないと僕は勝手に想像しています。乾も初めてのスペインで、10,000人にも満たない、2階席もないスタジアムを持つクラブでプレーするわけですから、なんとかして結果を残すしかありません。

好むと好まざるとにかかわらず、そこで両者に生まれたのは「なんとかしてこいつを納得させるしかない」という相手に対する共通した興味と、正面から向き合うしか無い追い込まれた状況だったのではないでしょうか。

おまけにエイバルは言葉の使い方はともかく「ど田舎」です。

スペインでは田舎に行けば行くほど偏見が多くなる一方で、溶け込もうとする人間には興味を持ち見守る度量の深さもあります。

「こんなど田舎に来たよくわからない東洋人を見守ってやろう」という親心的な気持ちが住民に生まれていたことも予想できます。

そのような状況の中で3年間プレーした乾は、結局メンディリバルからの信頼と、ファンからの愛情を獲得するに至りました。

乾にしてみればメンディリバルがスペインにおける父親的な存在であり、エイバルの町とイプルーアが実家のような感覚にすらなったことでしょう。

いみじくもセルタのケースでデニス・スアレスやサンティ・ミナが「家に戻ってこられて嬉しい」と繰り返し語るように、乾にとってもエイバルとイプルーアは家であるだろうと想像できますし、そこに戻れるチャンスがあるならその選択肢を捨てることは恐らくなかったのでしょう。

ベティスからエイバルへの移籍にかかった費用は400万ユーロだと報じられています。

人としての評価は別として、乾は慣れ親しんだ「実家」で、再度家族として迎えられるかどうかのテストを受けることにはなるでしょう。

しかし、すでに知っている場所でリラックスして受けられるテストであり、試験官の性格や出題の癖がある程度わかっている中でのテストでもあります。

山間の小さなスタジアムに、再び乾の名前がこだまするのかどうか。

今シーズンの楽しみがまた一つ増えたのではないかな、と僕は密かに期待しているのです。

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