セルタが久保を獲れずに良かった理由。ビジャレアルが久保を獲ってよかった理由

La Liga情報

レアル・マドリーの日本代表FW久保建英が、ビジャレアルと1年間の期限付き移籍契約に合意し、スペイン現地時間8月11日に正式発表されました。

スペイン国内ではセルタ・デ・ビーゴも獲得を目指していたと言われていましたが、すでに僕は以前の記事でセルタは久保を獲得するにふさわしくないと思っていると述べてきました。

【セルタ】久保建英がセルタでプレーする可能性はあるのか?
スペイン国内の主要メディアで、セルタも久保建英争奪戦に参加したと報じられていますが、本当でしょうか?報道の真偽とともにセルタファンとしての個人的見解、そしてこの報道に関して思うことを記します。

今回は久保のビジャレアル移籍が正式発表されたことを受け、

  • セルタが久保を獲れずに終わって良かった理由
  • ビジャレアルが久保を獲って良かった理由
  • 久保がビジャレアル移籍を選択した意義

について個人的な見解を書いてみます。

セルタが久保を獲れずに終わって良かった理由

大前提として、僕は久保建英というサッカー選手がかなり好きです。

ドリブルがうまく、若くてスピードもテクニックもあり、攻撃的なポジションならどこでもこなせてゴールも狙える。

僕はセルタ・デ・ビーゴを20年以上応援し続けており、一時期は現地ビーゴで年間チケット会員にもなっていました。

それほどの年月見続けてきたクラブに、日本人の有望な若い代表選手が加入するとなれば、それは喜ばしいことには違いないのです。

しかし以前の記事でも書いた通り、現在のセルタに久保はふさわしくないし、現在と未来の久保にとって現在のセルタはふさわしくない、と僕は考えていました。

【セルタ】久保建英がセルタでプレーする可能性はあるのか?
スペイン国内の主要メディアで、セルタも久保建英争奪戦に参加したと報じられていますが、本当でしょうか?報道の真偽とともにセルタファンとしての個人的見解、そしてこの報道に関して思うことを記します。

久保ほどの実力と質を兼ね備えた選手に、自分の応援するクラブでプレーしてほしいと願うのは恐らく自然なことでしょう。だからこそスペイン国内外から数多くの獲得オファーが久保のもとに届いていたはずです。

もし仮にセルタが久保を1年間の期限付き、買取オプション無しの条件で獲得したとすれば何が起きたでしょうか?

マジョルカ移籍の時と同様、セルタのSNS(特にTwitter、インスタグラム)はフォロワー数が瞬間的に激増し、日本のメディアから取材依頼が殺到することになったでしょう。DAZNやWOWOWなどで試合映像が繰り返し視聴され、ニュース映像にもセルタの名前が登場する。

コロナ禍の影響で新シーズンに観客動員が可能になるかは現在のところ定かではありませんが、セルタが子会社のAfouteza e Corazon社を通じて運営するネット上の公式ショップへのアクセスは増加し、ユニフォームを代表する関連グッズの日本向け売上が多大なものになった可能性があります。

もしかしたら日本企業を含めたいくつかの企業から、露出アップを狙ったスポンサー提案が来ることもあり得たかもしれません。

しかし、それだけです。

たったそれだけのことなのです。

そのような熱狂は、どうあがいても1年で終わります。

久保は1年後にいなくなり、(もしかしたら現れる)新規スポンサーも、日本人のファンも、関連グッズの海外向け売上も、その全てが1年後にはゼロになります。

もし久保がセルタでプレーしたとしても、3年後にセルタのことを覚えている日本人や、3年後もセルタを応援し続ける日本人ファンは、今この時と同じか、増えていたとしても数人でしょう。

マジョルカの時と同様に、セルタの歴史や経緯を知らない日本人サッカーファンによるSNSへの過度なアクセスや荒唐無稽な批評・批判が押し寄せることになった可能性は高いと予想できます。

日本人との接点が多いとは言えないガリシア州の小さな町であるビーゴの住人たちにとって、そのような光景は異様に映り、拒否反応が生まれた可能性は高いでしょう。

「騒動」と呼ぶこともできるような状況はクラブが目指す未来の中に、明確に描かれた姿でしょうか?

少なくともセルタ・デ・ビーゴというクラブが中長期計画として発表した物事の中には含まれていなかったと、僕は記憶しています。

こうした「一過性」とも言える熱狂的出来事は、端的に言うと経営的には「ドーピング」のようなものだと僕は考えています。

もちろん、そうはならないクラブや事例があることも知っていますが、少なくともセルタにとっては過去に「一過性の熱狂」を経験したことによってどん底に落ちた経験があります。そしてそのダメージから15年たった今でも完全に回復はできていないのです。

後述する、2000年代初頭にセルタが経験した一過性の熱狂は結果的にはただの「ドーピング」であり、そのリバウンドにセルタは15年間苦しんできています。

そこからの回復がなされるまでは、再度の「ドーピング」は避けるべきですし、その意味で今回久保の獲得が未遂に終わったのは長い目で見ればクラブにとって良かったことだと僕は個人的に考えています。

セルタの20年とビジャレアルの20年は中身が違う。

奇しくも同じ1997年からある意味で飛躍を始めたセルタとビジャレアルですが、ある時を境に両クラブの歩みは明暗を分けていきます。

転機となった2003−2004シーズン:セルタの場合

ビジャレアルがプリメーラ・ディビシオンに初めて昇格した1998−1999シーズン以降、セルタもビジャレアルもそれぞれ2回ずつの降格を経験しています。

降格回数は一緒でも、セグンダでのプレー年数が長くなったセルタのほうが、受けた経営的なダメージは大きかったと言えるでしょう。

ミゲル・アンヘル・ロティーナに率いられ、クラブ史上初めてのチャンピオンズリーグ出場を果たしたものの、セルタは2003−2004シーズン終了と同時にセグンダに降格。セグンダでのシーズン開幕前にガリシア人のフェルナンド・バスケスを指揮官に迎えたセルタは1年でプリメーラ復帰を実現しました。

翌シーズンはブラジル人FWフェルナンド・バイアーノ、ウルグアイ代表MFファビアン・カノッビオ、スペインU-21代表(当時)MFダビ・シルバなどを獲得して復帰初年度ながら6位でシーズンを終了し、2006−2007シーズンにはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)に出場しました。

ところが2003−2004シーズンにチャンピオンズリーグと二足のわらじを履いて降格したシーズンと同様、2006−2007シーズンを18位で終えて再びセグンダAに降格。

ギリギリで確保してきていた主力選手たちをほぼ全員手放さざるを得なくなり、セルタはそこから5年間をセグンダで過ごすことになったのです。

しかも2007−2008シーズンは16位。翌2008−2009シーズンは17位と低空飛行。一時期はセグンダBへの降格圏内にも足を突っ込むなど、クラブの状況はここ20年で最悪と呼べる状況に陥っていきました。

転機となった2003−2004シーズン:ビジャレアルの場合

初昇格シーズンである1998−1999シーズンを18位で終えてセグンダに降格したものの、1年で再昇格を果たしたビジャレアルは、バジャドリーからFWビクトル。冬のマーケットでは、直前のトヨタカップでレアル・マドリーを下したばかりのボカ・ジュニオルスからマルティン・パレルモなどを獲得して2000−2001シーズンを7位で終えます。

2001−2002、2002−2003シーズンと2年連続で15位で終えたものの、2003−2004シーズン開幕前にバルセローナからアルゼンチン代表MFフアン・ロマン・リケルメを。オリンピック・リヨンからブラジル代表FWソニー・アンデルソンなどを獲得。

当時UEFAカップへの出場権が得られる大会だったUEFAインタートトカップに出場し、そこでUEFAカップへの出場権を獲得することになりました。

これが欧州カップ戦初挑戦だったビジャレアルですが、最終的にこの2003−2004シーズンのUEFAカップで準決勝まで進出。

翌2004−2005シーズンもウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランを獲得。なおかつUEFAカップで準々決勝まで進出し、なおかつリーグ戦を3位で終えたことでチャンピオンズリーグへの出場も果たすことになりました。

それ以降、2011−2012シーズンにセグンダに降格するまでのビジャレアルは一度もリーグ戦最終順位を8位以下まで落とすことなく上位〜中位に定着。

わずか10年で人口わずか5万人前後の田舎町を本拠とするクラブは大躍進を遂げることになったのです。

ビジャレアルというクラブの良い点。久保にとっては何が良かったのか

経営の歩みでセルタとビジャレアルは見事に明暗を分けてきました。

セルタの会長がオラシオ・ゴメスから株式を取得したカルロス・モウリーニョに変わったのが2006−2007シーズン前。

モウリーニョがスペイン国内でガソリンスタンドチェーンを展開するGES社や、ルーツを持つメキシコでの企業経営手法をベースとし、セルタにおいても「企業然」とした経営に手を付け始めたのが2006年以降です。

対してビジャレアルは1997年に陶器メーカー「Pamesa」のオーナーであるフェルナンド・ロイがビジャレアルの会長に就任。

企業体への転換が進みつつも、まだ緩やかであった当時のスペインサッカー界ではいち早う企業然とした経営に転換し、財政的な統制を取りながら必要な部門・箇所・施設に適切な投資を行う手法を取り始めることで徐々に結果を残すようになっていきます。

それに加えてビジャレアルが育成組織の充実を行ってきたのは広く知られている事実です。チームのベースにカンテラ出身選手を置き、そこにピースとしてパレルモやリケルメ。そしてフォルラン、アンデルソンなどのビッグネームを獲得。

なおかつ、保有・獲得する選手層に合わせてホアキン・カパロス、パキート、ビクトル・ムニョスなどの「軍曹系監督」から、徐々にベニート・フローロやマヌエル・ペジェグリーニなどの「指揮官系監督」へ転換。選手と指揮系統両輪の強化に余念がない見事なクラブ運営を行ってきました。

セルタは元々育成に定評はあり、ミチェル・サルガード(→レアル・マドリー)、イト(→ベティス)、ミチュ(→ラージョ、スウォンジー)、オウビーニャ(→バーミンガム)などを排出はしていました。

しかし彼らの売却資金の運用や、リーグ戦での上位進出、UEFAカップなどへの出場ボーナスやテレビ放映権料などの再投資・運用といった経営面のいくつかの点で脆弱な部分が大きく、蓋を開けてみれば1998−1999シーズン以降のクラブ財政は自転車操業に近い火の車だったことが後々明らかになります。。

最終的に約100億の負債が発覚し、引責の形で前会長であるオラシオ・ゴメスは保有株式の全てをカルロス・モウリーニョに売却。

片腕であったGMのアルフレード・ロドリゲスと合わせて、FWカターニャやMFペテル・リュクサンなどの移籍オペレーションにおける不正が明らかにもなり、彼らは最終的に資格停止処分を受け表舞台から消えていきます。

このことが過去15年間における大型投資にブレーキをかける結果になりました。モウリーニョはセルタのクラブ規模から考えれば経営のベースとなる選手の供給は自クラブ育成組織が基盤となるべきと主張。

ガリシア・カンテラ主義を打ち出し、地元出身かつカンテラ出身選手のトップチームにおける比率アップを目指すと宣言します。

2000年代2度目の降格後、主力のほとんどを売却しながらギリギリでセグンダAへの残留を成し遂げ、並行して銀行からの追加融資条件を引き出し、「顧客サービスの一貫」としてホームスタジアムであるバライードスの改修、またはクラブによる買取交渉をビーゴ市長アベル・カバジェーロと開始。

「安く買って、高く売る」を会長就任以来一貫して続けた結果、就任当初にクラブが抱えていた負債をほぼ返済するところまでこぎつけたのが2019−2020シーズン開幕前のことでした。

セルタがこのような財政的困窮状態に陥ったのは、4年連続UEFAカップ出場を成し遂げ、チャンピオンズリーグ出場までも実現し、ある一定レベル以上の収入があったにも関わらずその資金を適切に管理・運用できていなかったからです。

カンテラの既存機能に依存し、クラブのスタッフなど人的・設備的インフラにはあまり手がつけられませんでした。

2000年代以降、急速に発展したインターネットへの対応も遅れ、公式Webサイトの開設は当時のプリメーラ・ディビシオンで最も遅い部類に入ります。

しかもクラブ名.comやクラブ名.esといった典型的なドメインの取得に失敗し、ようやく開設した最初の公式サイトはファンからすれば違和感のあるURLでしかありませんでした。

このように、「企業価値」を高める活動になったのがカロルス・モウリーニョ就任後の2006年以降であるセルタと、1997年のフェルナンド・ロイ就任当初から地に足をつけた堅実経営を続けてきたビジャレアルの間には約10年の「差」が存在します。ビジャレアルが大きく結果を伸ばし始めるまでにロイの就任から約10年がかかっていますが、そこにセルタのモウリーニョほどには解決すべき「難題」は多くなかったはずです。

ビジャレアルはその分だけクラブの健全で健康的な発展に投資できてきた過去を持っており、しかも1997年以来クラブのトップが変わっていません。現在73歳のフェルナンド・ロイがいつまで現役でいられるのかは不明ですが、彼がクラブにいる間は大きく間違った経営方針へ変わることはないでしょう。つまり、クラブとして一貫性が担保されています。

以前在籍したデニス・スアレス(現セルタ)の事例でもわかるように、買い戻しオプション付きの選手であれ、期限付き移籍の選手であれ、クラブにとってプラス=戦力になる選手であればビジャレアルは躊躇なく彼らを獲得してきました。

しかもその上でクラブも彼らにより1段階上のステップに上がるということを繰り返してきた歴史を持っています。

2019−2020シーズンに久保が在籍したマジョルカは、シーズン全体を通しての目標がプリメーラ残留でした。新規獲得選手もほとんどなく、シーズンが始まってからチームを作り上げていった部分も多かったように見えます。その中でビセンテ・モレーノ監督は非常によくチームを運営したと思うのですが、マジョルカのパターンはクラブも選手も双方に負担が多くリスクも大きくなります。

対照的にビジャレアルの場合は既に出来上がったクラブとしてのベースがあり、チームが置かれた立場や状況もマジョルカとは全く違います。

現在のビジャレアルにとって新規獲得選手というのは、クラブとして今後更に上を目指すための「ピース」として獲得する純粋な「戦力」という扱いであるはずです。

巷で噂されている通り、新監督のウナイ・エメリが個人的欲求で熱望したと言われる久保が加入することによってクラブの戦力が充実し、付随する経営的・経済的効果を享受でき、久保本人がクラブに今後残留する可能性がほぼゼロだとしても、久保が1年間在籍することによって得られるメリットのほうが大きいと判断したからこその獲得だったことは疑いようがありません。

そして、その判断ができたのは過去20年においてビジャレアルが背伸びをせず、地に足をつけてしっかりとクラブを経営してきたことが大きな理由だと僕は考えています。

セルタが久保獲得のために本気の攻めに出ることができず、反対にビジャレアルが今回大きく動いて久保を獲得できた最大の理由がそこにあるのではないか。

僕の目にはそんなふうに見えるのです。

久保の周囲には冷静な「目」がある証明となるのではないか

少なくとも、今回の移籍において久保の去就が注目を集めたのは、レアル・マドリー加入直後のプレシーズンマッチや、ラ・リーガでの実戦で示した久保本人の実力がベースになっています。

一昔前に揶揄されたような「スポンサー枠」で呼ばれた客寄せパンダではありません。

この事自体が素晴らしいことではあるのですが、僕が興味を持っているのは久保の周囲にある「目」です。

久保がビジャレアルを選んだ理由の一つに、周囲にいる大人達の質が良かったことも考えられるのではないかと僕は思っています。

マジョルカという「降格筆頭候補」だったクラブで主力としての地位を獲得していき、最終的には不動の存在とまで言えるほど成長。早々に脱落すると思われていたチームを最終節直前まで残留争いに加わらせる立役者の1人となった。

明らかに多方面から評価されるこの状況でビジャレアルを選択するという決断ができたことは、ある意味で久保が持つ「謙虚さ」の証明と考えることもできるのではないでしょうか。

本当にミランやPSG、バイエルンなどが獲得に乗り出していたのだとしたら、19歳の若者であれば心揺れることもあったでしょう。

それでも数あるスペイン国内のクラブからビジャレアルを選択できたという久保本人の決断や、その決断に至らせることのできた周囲のサポート(代理人や、レアル・マドリーのスタッフも含まれるでしょう)というものも素晴らしいものではないかと僕は思います。

本人の決断力や洞察力。そして周囲のサポート力も合わせたものが現在の久保建英というサッカー選手を形作っているのだと僕は思いますが、この様な環境は望んで誰もが得られるものではありません。

その意味で、久保が今回ビジャレアルに移籍をしたということは1人の若いサッカー選手の周りに、本当に様々な者達の様々な思惑が入り乱れていて、その中から自分に最適なものを選び抜き決断するということの重要性も僕達ファンに示してくれているのではないでしょうか。

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