スペイン主要メディアでも話題に上がったセルタからのオファー
日本のメディアでも「スペイン主要メディアが取り上げた」ということで話題に上がった、セルタ・デ・ビーゴが日本代表FW久保建英の期限付き移籍をオファーしたというニュース。
「スペインメディアが取り上げた」という点では真実ですが、クラブとして公式に話をしているのかどうかは当然ですが定かではありません。
スペイン2番手の大手スポーツ紙asは全体論として、久保の期限付き移籍を望むクラブがセビージャ、ベティス、レアル・ソシエダ、グラナダ、レバンテ、アラベス、そしてセルタと多岐に渡っていることを報じています。
また、100周年を迎えるオサスーナからのオファーにも肯定的な返事を返したとも記されていますが、久保本人やレアル・マドリー経営陣の主要人物からの情報というよりは、
- オサスーナが100周年を迎えること。またそれに伴いホームスタジアム、エル・サダールがリニューアルすること
- オサスーナのユニフォーム・サプライヤーとレアル・マドリーのユニフォーム・サプライヤーが同じアディダスになったこと
などを説明付けられる理由としてあげていますが、個人的にはこじつけに近い理由でしかないと思います。
セルタに至っては名前があげられているだけで具体的なオファー内容や理由などについては一切触れられておらず、信憑性は限りなくゼロに近いと思っていいでしょう。
他にセルタの久保建英獲得に関するニュースを報じたメディアとしてはEl Desmarqueがありますが、El Desmarqueはasの記事を踏襲した内容に過ぎず、asが報じた以上の確たる証拠をもってセルタの久保獲得に関して目新しい情報を提供しているわけではありません。
したがって、asの記事がオフシーズン特有のネタ記事だとすれば、El Desmarqueの記事も同じということになります。
そもそもセルタに久保は必要なのか
恐らく同じテーマで主語を変えればあと17個は記事が書けると思うのですが、そもそもセルタに久保は必要なのでしょうか?
「必要かどうか」と問われた時、僕は1人のファンとして「必要かどうかはともかく、いたら面白いし活躍はできるだろう」と思います。
現在のセルタに久保と同じタイプの選手はいませんし、右サイドでも左サイドでも彼の特徴は活かせるでしょう。幸いなことに少なくともあと1年はセルタの監督を務めるのは、久保と同様にバルサのラ・マシアで育ったオスカル・ガルシア・ジュンジェンであり、副監督はその弟ルジェール・ガルシア・ジュンジェンです。
サッカーに関する哲学的な部分では共感できるものは多いと考えることもできますし、サッカーの観点で「同じ思考と言語」を用いて分かり合うこともできるのかもしれません。
セルタにとってはリスクになり得る久保のポテンシャル
現時点、そして予想される来シーズンのセルタが基本とするメンバー構成を考えてみましょう。
FWイアゴ・アスパス、サンティ・ミナ、ブライス・メンデス or アルバロ・バディージョ
MFデニス・スアレス、レナト・タピア、フラン・ベルトラン
DFウーゴ・マージョ or ケビン・バスケス、ネストル・アラウホ、ジェイソン・ムリージョ、ルーカス・オラサ
GKルベン・ブランコ or セルヒオ・アルバレス
久保がプレーするとなれば4−3−3のサイド、あるいは4−2−3−1のトップ下、というのが安直な予想になるのでしょうか。
そうだとして、上記のメンバーの中で競合しそうなのはサンティ・ミナ、ブライス・メンデスが筆頭。
中盤だとするとデニス・スアレスかフラン・ベルトランになるのでしょうが、オカイ・ヨクシュルとフィリップ・ブラダリッチがいなくなる可能性を考えればフランとタピアは不動と見るべきです。
デニスが怪我がちとはいえ、果たしてタイプ的に競合かと言われると首をひねりたくもなります。
そうなるとやはり前線での出場機会を探ることになりそうですが、サンティ・ミナとブライス・メンデスよりも久保が圧倒的に優れている、とは必ずしも言い切れません。
少なくともオスカル・ガルシア監督は2019−2020シーズンの反省を踏まえてチーム作りを進めるはずで、ベースとなるのは2020年以降のチームになるでしょう。久保のようなタイプの選手がいれば面白いのに、と思った場面がなかったとは言いませんが、いたからといって局面を圧倒的に打開できたかというとそんな保証がないことも事実です。
つまり、未知数かつ不安定な要素が多すぎると思うのです。これは、久保にとってもそうですしセルタにとっても同様です。
まず、久保にとっては「安定してレベルの高い試合をシーズン通じてできる」保証がありません。また「欧州カップ戦で実績と経験を積む」ということもできません。
久保ほどの実力があればセルタでプレーしたとして、スタメンを勝ち取る可能性も十分にあると僕は思います。ただし、それはセルタが周囲の思うようなサッカーをできた場合です。
2019−2020シーズンのように、本人たちも周りも「もっとやれるはずなのになぜ成績が悪いのかわからない」というような状況になった時、久保がどんな扱いを受けるのかは予想だにできません。
セルタにとっても久保は不確定要素としての要素が多すぎますし、仮に久保がセルタにバッチリと「ハマってしまった場合」、失うものが大きすぎます。
2005−2006シーズン、バレンシアからセルタに期限付き移籍したダビ・シルバは素晴らしい活躍でチームにフィット。UEFAカップ出場に導いてくれた実績から、ファンもクラブも何とかシルバを買い取りたかったのですが、到底無理な話でした。
そしてシルバを失ったセルタは翌年降格したのです。シルバがスペイン代表としてEURO2008で優勝する2年前の出来事でした。
逆説的に考えれば、「手に入れてしまったがために、失う時の損害が大きくなる」というリスクを多大に秘めているのが、セルタにとっての久保建英であると僕は考えています。
僕は個人的に、それだけのポテンシャルと実力を持っているのが久保建英というサッカー選手だと思っているのです。
現時点で久保建英がセルタでプレーするような可能性はないでしょう。久保にとってメリットが少なすぎますし、セルタにとってはリスク(主に潜在的なリスク)が大きすぎます。
スペイン主要メディアを賑わせる久保の未来
久保建英が2020−2021シーズンをどのクラブでプレーすることになるにせよ、恐らく彼はどこでもそれなりの結果を出し、今シーズンよりも種類は違うかもしれませんが確かな足跡をラ・リーガに残すことになるでしょう。そして残して欲しいとも思います。
このような予想を、日本でもスペインでも、多くのサッカー関係者が予測していること。
そしてスペインの主要メディアも同様に考えていること。
この2つの事実は20年以上ラ・リーガを見続けている僕にとって驚くべきことですし、僕と同等かそれ以上の年月に渡りラ・リーガを見てきたファンやジャーナリストの方にとっても恐らく同様でしょう。
城彰二はバジャドリーで2年目を迎えられませんでした。西澤明訓も中村俊輔もエスパニョールで同様です。
大久保嘉人や家長昭博は久保と同じくマジョルカで複数年プレーしましたが、他チームから今の久保ほど求められるほどの結果を残したわけではありませんでした。
18歳でレアル・マドリーに完全移籍し、当初の予想を裏切ってプリメーラのクラブに期限付き移籍し、中盤戦以降はスタメンに定着して37節まで残留争いをするチームの主役になる。
できすぎた都合のいいマンガのようなストーリーです。
そしてそんなマンガの主人公のような彼について、MARCAやas、Movistar PlusやOnda Cero、Cadena SERやCadena COPEといったスペインの主要スポーツメディアがこぞって語る時代が来たのです。
何より僕が個人的に感慨深くて仕方ないのは、カタルーニャ人ジャーナリストのジュセップ・ペドレロルが司会を務めるテレビ番組El Chiringuitoにおいて彼自身が久保の話題を取り上げたことです。
20年以上ラ・リーガの報道に携わる彼は、CANAL+で放送していた時代のEl Dia Despuesで、2020年初頭に他界したアイルランド人ジャーナリスト、マイケル・ロビンソンと名コンビでした。
ペドレロルが話題を振り、ロビンソンがアイルランド訛りの完璧なスペイン語でコメントする。その絶妙な掛け合いを、夜20時以降のスペインでは誰もが楽しんでいたのです。
恐らく、マイケル・ロビンソンが存命であれば、きっとどこかでペドレロルとロビンソンが久保について語るシーンを見ることができたのではないと僕は思っていますし、そうでなかったとしても同じ話題に食いつくあの2人のことであれば、共演できなかった場合にはロビンソンが自身の番組で取り上げたはずだろうと思うのです。
そして、こんなことを夢想できてしまうほどのプレー、そして存在感を持つ久保建英という選手が現れ、スペインでプレーしているということ。その事自体がとてつもなく凄いことであり、まさに日本サッカーが飛躍してきた証でもあると僕は考えています。
「日本ではなくバルサが久保を育てたのだ」という人も中にはいるかもしれません。そういう側面もあるでしょう。
しかし80年初頭のような日本サッカー界であったなら、久保少年はサッカーをしていたでしょうか。
バルサは日本でスクールを開催することになったでしょうか。
そこで見いだされた久保少年が家族とバルセローナに渡る決断をすることがあったでしょうか。
全ては巡り合わせなのでしょう。
しかし久保建英にまつわる巡り合わせは、もしかしたらスペインでも日本でも、多くのファンや関係者を幸福にする巡り合わせとして後世まで語り継がれるものになるかもしれません。