2012年11月25日:ブエノスアイレス中心部にて
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人によっていろいろな意見があるとは思うわけです。
目に見えるものの印象と、実際の物事が違うことというのは意外とよくあることですし、「こうあってほしい」というものがことさら目立って目に飛び込んできたりもするものです。
とは言っても、黄色と黒のツートンカラーで道をゆくタクシー。
道行く人々の身のこなしや立ち並ぶ劇場の雰囲気。
レストランやバルの店構え。
それら街の景色のいくつもが、まるでバルセローナにいるかのような錯覚を僕にもたらしていました。
でも確かにこの時の僕は日本から24時間以上かけないとたどり着けない南米にいて、そしてここブエノスアイレスの街は確かに南米アルゼンチンの首都なのでした。
耳に入ってくる言葉は確かに馴染みのある言葉であり理解もできるのですが、彼らの話すスペイン語に存在する独特の訛りは、確かにここがアルゼンチンなのだということを明確に物語っていたのです。
知識として知っている方もいると思いますが、スペイン語の世界にも各国ごとにけっこう明確な「訛り」や「特徴」が存在します。
そして「世界のどこにいてもわかる」と言われるほど特徴的な訛りを持つのが、南米ではしばしば「アルゼンチン語」とまで冗談交じりに言われるアルゼンチンのスペイン語です。
アルゼンチンは人口のほとんどが白人という、南米では珍しい部類の国。そしてその白人人口のルーツはスペイン、イタリア、ドイツが中心だったと言われています。
そのためアルゼンチン人の名字にはスペイン語読みが困難で、イタリア語読みのほうがしっくり来るものや、明らかにスペイン語やイタリア語とも違うドイツ語表記の名字が他の国よりも目立ちます。
耳から入ってくるスペイン語の響きと、目から入ってくる町並みの情景のギャップ。
スペインにいるようでありながら、「耳」で感じるその場の空気は明らかにスペインではない、というギャップ。
それこそが僕にとってはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスの面白さでした。
ホテルで朝食を食べたあと、部屋でゆっくりしたりホテルの周囲を散歩したりしながら時間を潰しているうちに時間は昼前になっていました。
幸いアルゼンチンは食事が美味しいため、朝食を思った以上に食べていた僕は正午近い時間でもまだ空腹感はなく、ホテルのロビーで新聞を広げながら優雅にコーヒーを飲んでくつろぐことにしたのです。
アルゼンチン最大の全国紙であるClarin(クラリン)のスポーツ面には、今日行われるボカ対ラシン戦のチケットがソシオ向けのみで完売したことを伝える記事がありました。実はこの時点で当時の僕はクラリンと仕事の話をするためにアルゼンチンを訪問しており、クラリンの幹部に冗談交じりで「コネでチケットもらえたりはしないんですか?」と質問したことがありました。
たまたま僕と話をしていたクラリンの幹部はボカのファンだったわけですが、彼は真面目な顔をして「人からもらったチケットなんて価値はないよ。私はソシオだしね」と、今まで見たドヤ顔の中でも最大級のドヤ顔を披露してくれたのです。
こちらとしては「試合が見たいのか?ボカが好きなら一枚手配してやろう!」などというオイシイ展開があれば・・・などというスケベ心満載のフリだったわけですが、彼はこちらの意図とは違う受け取り方をしたわけです。
そして彼は、日本から来たサラリーマンの男に自分がどれだけボカのソシオであることを誇りに思っているかを語る機会を最大限に活用し、僕にボカのソシオであることを滔々と語って聞かせたのでした。
クラリンの別の担当者はブエノスアイレスの隣町であるアベジャネーダを本拠地とするもう一つのクラブ、インデペンディエンテのファンだったのですが、僕がかつてセルタのアボナードだったことを知ると急に親切になりました。
それもそのはず。「セルタにはたしか何人かアルゼンチン人がいたな」という彼の発言に対して、僕がフェルナンド・カセレス、エドゥアルド・ベリッソ、ディエゴ・プラセンテ、そして最大の功績者としてグスタボ・ロペスの名前をあげたからです。
グスタボ・ロペスはまさしくインデペンディエンテ出身の選手でした。1995年にサラゴサへ移籍する前は1991年にインデペンディエンテでデビューし、1996年のアトランタ・オリンピックにも出場。その後も2002年ワールドカップにも出場するなど、アベジャネーダの住民にとってはインデ出身の英雄の一人です。
そんな彼に、チャンスがあればボカ対ラシンの試合を見に行くつもりだと伝えると、「それはいいことだ」と厳かな顔で頷いていました。
「ラシンなどアベジャネーダに存在していてはいけない。全力でボカを応援するように」
という命令を受けていた僕は、ホテルのロビーでコーヒーを飲みながら「果たしてその指令は実現できるのだろうか」とぼーっと考えていたのでした。
ミゲルの電話
前日にボンボネーラで僕に声をかけて自分のタクシーに乗せた運転手。ミゲルと名乗ったその運転手は、僕を乗せたあと延々誰かに電話をかけ続けていました。
「そうだ。あぁ?違う!中国人じゃない!日本だ!日本人だ!」
マニュアル車のタクシーを運転しながら片手で電話をかけるというサーカスのような芸当を披露しながら、ミゲルはどこかへ電話をしてチケットの確保に奔走しているようでした。
ミゲルはとにかく訛りの強い男でした。
しかも早口なので、気を抜いていると僕も何を言っているのかわからなくなるかもしれない危険があったわけですが、もちろん左手でスマホを持ち、右手でハンドルとギア操作をするミゲルはそんなことにはお構いなしです。
どこかへ連れて行かれるのだろうかと思っていた僕はとりあえず現在地を把握しようと試みていたわけですが、土地勘のないブエノスアイレスを爆走するタクシーの車窓から、自分の現在地を把握するのは不可能に近いということがすぐにわかりました。
するとおもむろにミゲルはアクセルから足を離すことなく後ろを振り返り、
「旦那!ホテルはどこだ!」
と質問してきました。
「ホテルはどこだ」というのはタクシー運転手としては至極まっとうな質問ではあるのですが、そもそも聞くタイミングが今ではないはずだし、そしてとりあえず前を向いて運転してほしい、と僕は心の底から思いました。
「カサ・ロサーダ(大統領官邸)のすぐ近くだが、頼むから前を向いてくれ!」
と僕が叫ぶと、ミゲルは不思議そうな顔をしながら前を向き、再びスマホに向かって「日本人が前を向けというので今からカサ・ロサーダに行く。かけなおす!」とわかったようなわからないようなことを言って電話を切ったようでした。
「で、カサ・ロサーダか。5月広場を横に入ったあたりのホテルか?」
とミゲルは僕に質問しながら、今度はスマホで誰かにメッセージを送っているようでした。もちろん車は走り続けています。
南米はどこでもこんな調子なので、もはや言っても無駄だと諦めた僕は、ホテルの名前を正確に伝えました。幸いミゲルはそのホテルを知っていたらしく、「ああ、あそこか」とつぶやくとスマホを助手席に放り投げ、「オッケーだぜ、旦那!」と叫んでアクセルを踏み込みました。
ホテルに着くまでの間、ミゲルは度々こちら(後部座席)を振り返って何事か話しかけてきていたのですが、なぜか窓が全開のまま休日の道をぶっ飛ばしていたため、風の音で何も僕には聞こえていませんでした。
「相手に聞こえていない」ということを全く想定していなさそうな様子で延々と口だけが動いているミゲルを見ながら、僕はとにかく無事にホテルに到着することだけを祈り続け、奇跡的に何事もなくホテルに到着した時には思わず神に感謝したのです。
「というわけで、明日の昼だ」
メーターの動いていないタクシーから降り、言われるがままやけに安いタクシー料金を僕に請求したあと、ミゲルは僕に言いました。
「昼?何の話だ」
話が全く見えない僕は思わずそう聞き返しました。おそらく風の音でそれまでの経緯が全く僕の耳には入っていなかったのでしょう。ただ、ミゲルは嫌な顔もせず説明してくれます。
「知り合いにチケットの融通ができる可能性の高いやつがいる。明日の昼に明らかになるが、あんたの分を1枚だったら俺の顔でなんとかなるはずだ。だから明日の昼に迎えに来る。もしくは電話をかける。いいな?」
なるほど、そういうことだったのか。
こういう場合、余計なことは聞かないほうがいいのだろうとは思っていたのですが、なぜかミゲルは僕の考えを見抜いたように付け加えます。
「ネットで探して納得の行く値段がついたチケットがあるならそれを買うのもアリだ。俺が確保できるかもしれないチケットは、旦那が買わなくてもどうせ誰かが買うからな。どっちを選ぶかはあんたに任せるよ!」
こんなことが言えるということは、僕の経験上から判断するにミゲルはこうした「商売」に慣れているということを意味しているように思えました。
慣れていないレベンタ(=ダフ屋)の人間は、とにかく目の前の人間に売りつけることを考えがちです。
サッカーのチケット。それも人気クラブの試合チケットというのは、一人欲しがる人間がいれば少なくとも10人や20人は同じ種類の人間がいるものです。
慣れている熟練のレベンタ達は、それがわかっているから安易な価格交渉に乗らないのです。
「どうせお前ら、これが欲しいんだろう」
という強気な姿勢でいても、最終的に「誰かが買いに来る」ことがわかっているからです。
ミゲルの言った「どうせ誰かが買うからな」というセリフが全てをあらわしていました。
iPhone事情を超越するミゲルの行動力
「では、明日の正午あたりに」
と言い残し、バルセローナで走っているタクシーとそっくりな色に塗られたタクシーをぶっ飛ばしてミゲルが去っていった10数時間後。
僕はこうしてホテルのロビーで律儀にミゲルが現れるのを待っているというわけだったのですが、よくよく考えたら僕は彼に自分の携帯電話番号を教えていませんでした。
2012年当時。
アルゼンチンではiPhoneの国内販売が表向きは禁止されていました。
もちろん、裏では大量にiPhoneが密輸され、販売もされていましたが、例えばアルゼンチンのMovistarやClaroといった国内大手キャリアに裏取引で手に入れたiPhoneを持ち込んでSIMカードを購入しセットしても、通話はできるもののデータ通信用の認証がされないために地図アプリの屋外での使用やインターネットへの接続ができなかったのです。
仕事の都合上電話が通じないことには話にならないので一応SIMカードは自分のiPhone(SIMフリー版)にセットしていましたが、本当に仕事の通話で使うだけ。メッセージやメール、アプリの使用などはホテル内でWi-Fi環境下でなければ不可能という状況でした。
当時のアルゼンチンでは国内産業を保護する目的で、「国内に生産拠点を持つメーカー以外の製品の販売を原則禁止する」という法律があると聞いていました。
この法律があることで、基本的に中国や台湾で生産されるiPhoneなどのApple製品は一切輸入・販売ができなくなり、アルゼンチン国内のAppleユーザーからは悲鳴が上がっていると聞いたことがあったのです。
しかし、例えば国外でプレーするサッカー選手や頻繁に海外へ行くことが多いエリート層はこぞって海外で最新のiPhoneやMacBookを購入してこれみよがしに使うわけですから、不公平感は否めません。
キャリアが通信を認証しなくても、それを何とかかいくぐって使えるようにする細工をする業者や技術者がアルゼンチン中にいるという話は耳にしていたのですが、わずか数週間の滞在のためにそこまでするつもりもなかった僕は、幸か不幸か彼らの世話になることはありませんでした。
ともかく、そんな事情もあってミゲルに電話番号を伝えていなかった僕は、彼がどうやって僕を探し出すつもりなのかさっぱりわかりませんでした。
ネットのチケット転売サイトを見てはみたものの、ボカ対ラシンの試合は全て売り切れており手に入りそうにありません。
僕がボンボネーラに入るためには、ミゲルが現れるのを待つか、あるいはダメ元でもう一度ボンボネーラ現地に特攻して直前に売りさばく誰かを探し出すこと以外にはなさそうでした。
だからといって、ミゲルがそこまで信頼できる人物だという保証などもどこにもありません。
さすがに僕も間抜けであるつもりはなかったので、「ミゲルなら来てくれるはずだ!」などとは、申し訳ないことに微塵も思っていませんでした。
13時を過ぎたらダメ元でボンボネーラに行ってみよう。
そう思いながら、手にしたクラリンを斜め読みしていると、キョロキョロしながら歩いていたホテルの従業員が僕に目を留め、話しかけてきました。
「失礼ですがお客様、”日本人”の方でしょうか?」
明らかに20代前半で「ホテルマンとして駆け出し」といった雰囲気の若い従業員が、申し訳無さそうに僕に尋ねてきます。
「ええ、そうですが。何かありましたか?」
と聞き返すと、ホッとしつつも相変わらず申し訳無さそうな表情を浮かべた若いホテルマンがこう言ったのです。
「ミゲル、と名乗る方から”日本人の客と話をさせろ!”と電話が・・・」
言葉の内容と、若者が見せる表情のミスマッチさは、これまで南米で見た情景の中でもトップクラスにコメディーチックなものでした。
こちらへ、と言われてフロントに向かうと、どうやら電話を取ったらしい別の従業員が「少々お待ちください。今お電話をお繋ぎします」と受話器に向かって発言し、「どうぞ」と僕に受話器を渡してきました。
「もしもし?」
と受話器に向かって問いかけた瞬間、聞こえてきたのは
「旦那か!今から行くので準備しておけ!」
というミゲルの怒鳴り声でした。
受話器の向こうからはなんだか聞き覚えのあるチャントがかすかに聞こえているのでした。
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つづく