ラ・リーガ第24節 レアル・マドリー 2-2 セルタ・デ・ビーゴ
ロシア人選手はセルタと、そしてサンティアゴ・ベルナベウとの相性がいいのでしょうか。
セルタのロシア代表FWフョードル・スモロフが見事な身のこなしで美しい先制点をセルタにもたらした瞬間、僕はそんなことを考えました。
ラ・リーガ・サンタンデール2019−2020シーズン第24節。
敵地サンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリーと対戦したセルタ・デ・ビーゴは前述のフョードル・スモロフのゴールと後半終了間際にスペイン人FWサンティ・ミナがあげた2ゴールによって2−2の引き分けという結果を勝ち取り、前節でセビージャ相手に勝利した勢いのまま17位で残留圏内に踏み留まりました。
ガリシア州の地方紙La Voz de Galiciaの記事でも触れられているように、この試合でもぎ取った勝ち点1はセルタがプリメーラ・ディビシオンに復帰してから初めてサンティアゴ・ベルナベウで獲得した勝ち点ということになります。
かつて、90年代末から2000年代初頭にかけてはスモロフの同胞である当時のロシア代表コンビ、「皇帝」アレクサンデル・モストヴォイとヴァレリー・カルピンの活躍で幾度となくベルナベウでの勝ち点奪取を成し遂げていたセルタ。
しかし2度の降格を経て以降セルタにはベルナベウでの負け癖が染み付き、長い間勝ち点を得ることなく過ごすことになっていました。
そういった意味ではこの第24節でセルタがあげた先制点の得点者が現在のロシア代表で10番を背負うスモロフであることに、僕としては一種の感慨に近いものを感じるのです。
La Vozが「黄金の1点」という表現を使った理由とは?
La Voz de Galiciaは記事の中でこの引き分けに関して「Un punto de oro=黄金の1ポイント」という表現を使っているのですが、この表現には様々な意味合いが含まれているように僕には感じられます。
直接的な意味では引き分けによる勝ち点1であり、この勝ち点1によってセルタが17位をキープできたことに対する表現であることは明らかです。
しかし僕達セルタファンにとってはこの「黄金の1ポイント」という表現は2つの意義深い別の意味でも心に響く表現だと僕は思うのです。
スモロフの1ポイント=ゴール
試合開始後わずか7分で生まれたセルタの先制ゴールは全てのセルタファンが期待した通り、FWイアゴ・アスパスが起点となって生まれていますが、実際にゴールを決めたのはこの冬の移籍市場で加入したロシア代表FWフョードル・スモロフでした。
僕も含めて10年、20年単位でセルタを見てきたファンの頭の中には、何度も紹介してきたように2000年代初頭のセルタの残影がこびりついています。
そしてその残影の中心で輝いているのはいつも「皇帝=El Zar」と呼ばれたアレクサンデル・モストヴォイでした。
スモロフ自身も加入後にセルタ公式サイトが公開したインタビュー動画の中で語っていますが、当時のスペインでモストヴォイとカルピンほど活躍したロシア人選手は他にいません。
わがまま放題を繰り返すモストヴォイを黙ってサポートし、やる気のなくなったモストヴォイにキレたようにとんでもないミドルシュートを放つカルピン。
やりたい放題カルピンをこき使ったかと思うと、突然世界で誰もできないのではないかという変態的な動きでとてつもないゴラッソを何気なく決めてみせるモストヴォイ。
20年前のバライードスにはそんな2人を愛してやまないファン達が毎週苦笑いしながら集まっていたものでした。
そんな彼らを少年時代に憧憬を込めて見ていたであろうスモロフが、モストヴォイもゴールを決めて勝ち点を奪ったサンティアゴ・ベルナベウでプリメーラ復帰後初となるセルタの勝ち点1を奪うきっかけとなった先制点を決めた。
この事実そのものに対して、セルタファンとしては「黄金の価値」があるのではないかと感じるのです。
しかもスモロフはこれが移籍後初ゴール。
なおかつイアゴ・アスパスとのスムーズな連携から生まれたゴールです。
スペインではFWとして最前線に立つ選手のことを「点」や「先端」を意味する「Punta」と表現し呼ぶことがありますが、まさにこの意味でもスモロフの存在とゴールは「La punta de oro」であり、「El punto de oro」であったと言えるでしょう。
デニス・スアレスとサンティ・ミナの崩しによるゴール
今シーズン開幕前にセルタファンの支持を集めた移籍はデニス・スアレスとサンティ・ミナの復帰劇でした。
地元意識の強いスペインでは地元のクラブで育った地元出身の選手をほぼ無条件で肯定的に迎え入れる傾向が強く見られます。
デニス・スアレスとミナの場合は特にそれが顕著で、それは両名とも「このままセルタで育ってくれれば」というところで様々に複合的な要因で他クラブへ移籍してしまっていたからです。
ビーゴだけが特殊だとは思いませんが、例えばミナがどれだけビーゴに戻りたかったのかは、バライードスで行われたミナ自身のお披露目会(=プレセンタシオン)において、涙を流しながら喜ぶ祖母のもとに一目散に駆けつけた彼の姿を思い出してみても理解できるというものでしょう。
デニス・スアレスにしてもどれは同様で、セルタ公式サイトにアップされていたデニスのインタビューでは終始笑顔で受け答えており落ち着いた表情でセルタ復帰の喜びを語っていました。
ところが、シーズンが始まってみるとデニスは負傷や退場などで期待されていたようなゲームメイクを含めた決定的な仕事をこなせないまま。
ミナも同様に負傷を繰り返しているうちに調子を落として、シーズン開始当初は確保していたスタメンの座を明け渡すことになっていました。
デニスとミナがアスパスをフォロー、サポートして得点を量産し中位以上を目指す、というのが今シーズンのセルタが描いていた青写真であったはずなのですが、現実は降格圏ギリギリの戦いを強いられる始末。
決して「最悪の出来」が続いているわけではないデニスとミナの姿はセルタファンとしては望まないものでありつつ受け入れざるを得ない微妙なものとして消化しきれない状態だったのです。
3試合ぶりにピッチに立ったデニスが右足のアウトサイドで出したスルーパス。それをずっと呼んでいたミナが滑らかにゴールに流し込んだ時、僕はずっと見たかったものをやっと見れたような気分になりました。
この1点は僕達セルタファンにとっては「ただの1点」ではなく、「クラブの歴史が詰まった1点」でもあるのです。
もしかしたら数年前から見られるはずだった1点。
何事もなければもっと何度も見ることができていたはずの1点。
過去のカンテラに関わったスタッフ達と、デニスとミナ、両名の家族の思いやこれまで味わってきた本人達の苦渋を洗い流すような爽快な1点。
カルロス・モウリーニョ会長が実現させたかった「ビーゴ出身者のトップチーム主力による」1点。
勝ち点1を引き寄せるだけでなく、ガリシア州ポンテベドラ県ビーゴ市、そしてセルタ・デ・ビーゴというクラブとそこに所属する全ての人々の思いが結実した意味合いも持たせる1点だったと僕は感じざるを得ないのです。
腐らなかったデニス、ミナ両名と、目を離さなかったオスカル
様々な意味合いを感じるスモロフとミナのゴールですが、セルタのオスカル・ガルシア・ジュンジェン監督のコメントを見る限りでは、特にミナのゴールはチーム全体で生み出したゴールだと考えることができそうです。
デニス・スアレスとミナの両名は確かにプレー時間が少なかったが練習では常に努力してきていた。だからこそ彼らはピッチに立ったし、だからこそ彼らがチームを救うことになった。
そしてそれこそ我々全員が求めていることなのだ。
(デニス・スアレスとスモロフの交代に関しては)ある程度決めていたことだった。中盤を強化する必要性があったし、そのためにはボールを保持でき連携を強化できる特徴を持った選手を増やすことが必要だった。スモロフを前線に居続けさせることも考えたが、彼の運動量を考えると90分間耐えることが難しいということもわかっていた。
このオスカル監督のコメントからは、オスカル本人が練習中にとても丁寧に細かく選手の状態を見ていることがうかがえます。
そして、試合中にしばしば見せる熱さや熟考する仕草を交互に繰り返す様子通り、表面的に見せるものよりも遥かに緻密にゲームを見て組み立てを考えることがわかります。
オスカルの記者会見を聞いているとわかりますが、彼は非常に熟慮しながら言葉を紡ぐ監督で、少なくともこれまでのところ感情的な発言を記者会見でしたことがありません。
11月の就任以降、セルタがチームとして徐々に上向いているのは僕自身感じていたことではありましたが、残念ながら目に見える結果は現れていませんでした。
しかし2週間ほど前のインタビューでイアゴ・アスパスが語り、セビージャ戦後のインタビューでも同じように発言した通り、2020年に入ってからセルタがチームとして見せるプレーの意図は以前よりも明確ではっきりとしたものに変わり、それに合わせるように当初窮屈そうにプレーしていたラフィーニャがキャリア最高とも言えるプレーを発揮し始めています。
レアル・マドリー戦でデニス・スアレスとミナが見せた一連のゴールに繋がるプレーは、腐らずに練習中から努力を続け、その姿をオスカルが見逃すことなくゲームプランに組み込み、チーム全体で監督の意図と交代出場した選手の特徴を活かそうとした結果であったと僕は考えます。
17位で第24節を終え、次節には19位レガネスをホーム、アバンカ・バライードスに迎えるセルタ。
上昇の兆しを見せ始めたセルタはホームでの連勝を勝ち取り残留に向けたさらなる一歩を踏み出すことができるでしょうか。
今のチームの雰囲気であれば、可能なことだろうと僕は期待しています。