言い得て妙な一つのツイート
Twitterで相互フォローしている、エスパニョールファンのペリーコろ(@perico_inco)さんが先日こんなツイートをしていました。
リーガは中堅以下だと「〇〇のメンツ、この順位はおかしい!もっと上にいるべき!この中盤には夢がある!」みたいな所はボールプレーヤーばっかりで潰し屋がいないイメージ
ボール持てて支配的なサッカーが理想だけど、現実そうはいかないよねって感じ
— ペ リ ー コ ろ 🐦 💙 🐤 (@perico_inco) June 29, 2020
言われてみればその通り、ということを見事にまとめたツイートで感服しました。
僕はこのツイートを拝見してからふと今シーズンのラ・リーガ・サンタンデールにおいて下位に低迷しているチームに思いを馳せたわけですが、現在最下位のエスパニョール含め、久保建英が所属するマジョルカや僕の応援するセルタ・デ・ビーゴもこのツイートに当てはまるな、と思ったのです。
5−1というスコアに終わったマジョルカ対セルタ
この試合を含めて残り6試合ということで、いよいよシーズンも佳境に入ってきているラ・リーガ2019−2020シーズン。
マジョルカもセルタも「勝てば残留への道筋が開けてくる」分かれ道になる可能性の高い試合でした。
結果は5−1という驚くべきスコアでホームのマジョルカが大勝。セルタとの勝ち点差を再び5に縮め、残り5試合に向けて望みを繋いだ形になりました。
逆にセルタは勝てば次からの5試合がかなり戦略的に楽になるはずでしたが、主審のデ・ブルゴス・ベンゴエチェアとVARを努めたホセ・ルイス・ゴンサーレス・ゴンサーレスの主観的な振る舞いによって先制点を失い、最終的に大量失点。
アラベス戦で6−0という大量得点を奪ったアドバンテージを綺麗サッパリ失う結果となりました。
主審の振る舞いが原因でセルタは負けたのか?
現地スペインのメディア、ジャーナリスト、ファン。
それぞれがマジョルカ対セルタ戦の主審を務めたデ・ブルゴス・ベンゴエチェアというバスク人主審のジャッジを「ありえないもの」「存在しないPK」と断じ、批判しています。
試合映像を僕自身もこの目で確認しましたが、あのシーンで「接触があった。明らかにPKだ」と言えるのは、マジョルカのファンや関係者ぐらいのものではないかと思いますし、実際にマジョルカのビセンテ・モレーノ監督は「私にとっては明らかにPKだと思われるプレーだった」と発言しています。
まあ、それはいいのです。
スペインサッカーを20年以上見続けている僕にとって、この種のジャッジやその後のやり取りは日常茶飯事とも言えるもの。
特にセルタのようなスペイン人の多くにとってはどうでもいいクラブが受けたひどい仕打ちなど、世の中の大勢には何も影響しないのでどうせ数週間もしたら誰の話題にも上がらなくなるようなものでしかありません。
それよりも、なぜこうなったのかという遠因です。
これはまさにこの記事の冒頭で紹介した、ペリーコろさん(@perico_inco)のツイートに帰結するのだと僕は思うのです。
この試合でなぜセルタはマジョルカに対して逆転劇を演じることができなかったのか?
そもそもマジョルカはなぜこのような順位で息も絶え絶えなのか?
理由の大きなものとして、「中盤に頑強で実直な潰し屋がいない」ということは挙げられるのではないかと気付きました。
過去のセルタと現在のセルタ
過去20年間のセルタの中盤を3段階に分けて考えてみましょう。
1990年代末期〜2000年代初頭
ちょうど僕がスペインに住み、バライードスで観戦していた頃のセルタは中盤でマジーニョ、クロード・マケレレ、エベルトン・ジョヴァネーラ、ヴァグネル、ペテル・リュクサン、ドリーヴァ、ホセ・イグナシオ、ディエゴ・プラセンテなどがプレーしていました。
最も素晴らしい実績を残したのはマジーニョ−マケレレ、ジョヴァネーラ−マケレレ、ジョヴァネーラ−リュクサンの組み合わせ。
マケレレがボールを奪い、マジーニョが捌く。
ジョヴァネーラが追い込み、マケレレが奪う。
ジョヴァネーラが奪い、リュクサンが展開する。
セントラルMFの役割は明確に二分化されて分業制になっており、担当業務がきっちりと割り振られていました。
2010年代
ボルハ・オウビーニャ、マルセロ・ディアス、アウグスト・フェルナンデス、パブロ・エルナンデスなどが入れ替わりプレーしたルイス・エンリケ、エドゥアルド・ベリッソ時代のセルタにもマルセロ・ディアスやパブロ・エルナンデスのような体を当ててボールを奪ってくれるタイプの選手が存在しました。
そしてそのような特徴を持った選手を揃えたベリッソのチームは、クラブ史上初めてヨーロッパリーグの準決勝に駒を進めることになったのです。
現在
2019−2020シーズンのセルタにおいて、中盤の核となっている選手は、
デニス・スアレス、ラフィーニャ、オカイ・ヨクシュル、ブライス・メンデス、フラン・ベルトラン、フィリップ・ブラダリッチです。スタニスラフ・ロボツカもシーズン前半には在籍していましたが冬の移籍マーケットでイタリアのナポリへ移籍しています。
現状で主力としてプレーするセルタのMF達の中で、例えばかつてのマケレレやジョヴァネーラ、パブロ・エルナンデスやマルセロ・ディアスのようなプレーをする選手はいないと言っていいでしょう。
タイプ的にオカイはやや似ているかもしれませんが、いわゆる「ファイター」的な選手ではありません。
「ロマン派」と呼ばれる所以
2019−2020シーズン開幕前、クラブが「帰還事業」と銘打ったカンテラ出身選手達の再獲得プロジェクトはことごとく功を奏し、まるで同窓会のようなメンバーが顔を揃えた上に、各ポジションに的確な選手を獲得「したように見えた」ことから、Twitter上でもラ・リーガのファン達から「今シーズンのセルタにはロマンがありそうだ」という声がちらほら上がっていました。
それは当然のことながら僕たちセルタファンも同じで、果たして今シーズンはどれだけやってくれるのか、などと今から思えば見当違いな夢を見ていたものです。
デニスとラフィーニャがパス交換し、ベルトランとブライス・メンデスが飛び出していく。カウンターになりかけるボールをオカイが拾って再びボールはデニスへ・・・などという、そんな夢です。
まさにそれこそ「ロマン」というものでしょう。
開幕直後のセビージャ戦あたりまではそんなサッカーができるかもしれないという淡い期待も抱けたのですが、徐々に流れがおかしくなってくるとセルタファンは冷静に状況が見れなくなっていたのかもしれません。
ディフェンスは悪くないが攻撃で点を取れないのがなぜかという議論が多くなり、それが故にフラン・エスクリバ前監督への批判も日に日に強くなりました。
エスクリバの作りたかったチームはまさに2018−2019シーズン後半のチームの発展型だったのだろうと思います。しっかり守ってカウンター。それも高速のカウンターで一撃必殺。
昨シーズンはそれを最終ラインから作っていたものを、中盤からやりたかったのではないか。
しかし、それをやるようなメンバーではありませんでした。
例えばオカイと組む選手がロボツカではなく、もっと体を張って相手を潰し、ボールを奪うタイプの選手だったら?
センターサークルの向こう側ではボールさえ渡せば勝手に何かやってくれそうな選手は揃っていたのですから、彼らに近いところでボールを奪える陣容であればもっとタレントを活かせたのではないかと今なら僕は思えるのです。
やっと人選が噛み合った冬以降のセルタ
オスカル・ガルシア・ジュンジェン監督の就任以降、徐々に息を吹き返し始めたセルタが本格的に復活の兆しを見せ始めたのが新型コロナウィルスによるリーグ戦中断直前でした。
年末から存在感を高め続けてファンの尊敬を際限無く勝ち取り続けていたラフィーニャが、ピッチ上でイアゴ・アスパスに匹敵するリーダーシップを見せ始め、最終ラインではジェイソン・ムリージョも同様のリーダーシップを見せ始めました。
特にレガネス相手に10人で勝利したあの試合。ユニフォームを泥だらけにしてピッチ中を駆けずり回り、終了後に雄叫びを上げたラフィーニャを見た時に僕は気づくべきでした。
「こういう選手がそもそも足りなかったのだ」と。
体を張って相手を止める。ボールを奪い、走る。
レガネス戦前後のラフィーニャはまさにそんなプレーでした。
その姿勢がファンの心を打ち、チームに勇気を与え、内外からの信頼を勝ち取ることにつながったのですが、僕たちの多くはそれが「ラフィーニャだから」だと勘違いしてはいなかったでしょうか?
言葉遊びかもしれませんが、それは「ラフィーニャのような選手がそれをやるから」僕たちファンは彼に対する信頼感をさらに持つことになったのでしょう。
おそらく同じことをオカイが徹底してやっていたら、僕の気持ちはオカイに向いていたはずです。
マジョルカ戦ではそんなプレーがあったのか?
答えは否、です。
プレーの内容は悪くありませんでした。
誰もサボっていませんし、質の悪いプレーをしていたわけでもありません。
ただし、何かを犠牲にしてでも相手を潰す種類のプレーは少なかったはずです。そしてそれは振り返ればアラベス戦でもレアル・ソシエダ戦でも、バルセローナ戦でも同様だったように思います。
対するマジョルカが必死に潰しに来ていたのかと言われれば必ずしもそうだったわけではありませんが、偶然なのか狙ってなのか、ポソと久保のプレーによってそれに近い状態が生まれていたように僕には思えるのです。
正直言って、久保建英のボールプレーヤーとしてのレベルはセルタの殆どの選手を凌駕していると僕は思っています。例えば、久保をセルタに欲しいかと聞かれれば僕は迷わず欲しいと答えます。そんなレベルだと僕は見ています。
簡単にボールを失わない久保が起点になって中央や右サイドでポソと絡むことでマジョルカは前線が活発に動いているように見えました。必然的に後ろに下がる時間が減り、そのことが5ゴールという結果につながったと言ってもいいのかもしれません。
「もっと上」にいるためには何が必要だったのか?
セルタには純粋な潰し屋がもっと早い段階で必要だったでしょう。そうでなければ、ラフィーニャのように体を張ったプレーを他の選手達も早い段階からするべきでした。
斜に構えた言い方をすれば、年明けあたりまでセルタの選手たちは全員「カッコつけていた」状態だったのだろうと今なら僕は思えます。
マジョルカで言えば、彼らはもっと久保とコミュニケーションを取るべきでしたし、久保が成長する早さを誰かがもっと早い段階で気づいて軸に近い存在として使い始めるべきだったでしょう。
結局の所、下にいるチームには下にいるなりの理由があります。
何かがどこかより足りないから、他のチームより下にいるのです。
それが何なのかはチームによって違うでしょう。
他にも足りないものはあるとは言え、少なくともセルタには愚直な潰し屋、体を張れるファイターが足りませんでした。
足りないなりに補うチームを作り上げつつあるオスカル・ガルシア・ジュンジェンという監督はある意味すごいと僕は思います。
延長オプションを含めて2年の契約延長を成し遂げた彼が今後どのようなチームを作るのか。そのために今シーズンどのように残留を成し遂げてくれるのか。
とにかくあと5試合、僕はオスカルのセルタをしっかりと見て応援していきたいと思っています。