セルタのマキシ・ゴメスはイングランドorスペイン国内他クラブへ移籍か
ギリギリ17位で2018−2019シーズンを終え、首の皮一枚でプリメーラ・ディビシオン残留を決めたセルタ・デ・ビーゴ。
そのセルタの中にあって気を吐いていた選手の1人がウルグアイ代表FWマキシ・ゴメスでした。
恵まれた体格を活かした安定したポストプレー。大柄にも関わらず丁寧な足元の技術。戦うことを恐れないウルグアイ人らしい勇気ある飛び込み。
結果的に1シーズンで3人の監督が入れ替わるという、2003−2004シーズンの悪夢のような迷走ぶりを思い起こさせるチームの中で最大限の力を常に出し続けていた選手でした。
マキシ・ゴメスは現在22歳。ウルグアイ第3の都市であるパイサンドゥー出身。2017−2018シーズン開幕前にウルグアイのデフェンソールからセルタに加入しています。
ビーゴの地元紙であるFARO DE VIGOはマキシ・ゴメスについて
ラージョ・バジェカーノとの試合が、マキシ・ゴメスのセルタの選手として最後の試合になる可能性が高い。この夏におけるマキシ・ゴメスの移籍に関して、セルタは5000万ユーロの契約解除金提示があれば売却に踏み切るだろう
と伝えています。
マキシ・ゴメスがデフェンソールから移籍した際にセルタが支払った移籍金は約400万ユーロでした。もし仮に5000万ユーロで売却できるとすれば悪い取引ではありません。売却の税引前利益だけで4600万ユーロが手元に残る計算になります。
クラブとしてはこの資金を元に他のポジション、あるいは監督などの補強を行い来シーズンに向けたチーム作りを進めたいと考えるのが定石だろうというのは理解できます。
マキシ・ゴメスが加入後の2年間で結果を残しているとはいえ、一寸先は闇。来シーズンも同様の調子で結果を残せるとは誰にも確約できませんし、資金力のあるクラブが獲得を目指しているのであれば、市場価値が高まっている間に売却するほうが賢明という考え方もできるでしょう。
仮に2018−2019シーズンの戦績がもう少しマシなもので、例えばヨーロッパリーグ出場を争う程度の戦いができていたとすれば、マキシ・ゴメスの市場価格はもう少し上昇していた可能性があります。
しかし結果的には最終節まで降格するかどうかという悲惨なシーズンだったにもかかわらず5000万ユーロで売却可能な選手がいるのであれば、セルタとしては売却に踏み切ったほうが将来的に得であるはずです。
FARO DE VIGOの報道ではウエストハム、トッテナム、リヴァプールと3つのプレミアリーグクラブがマキシ・ゴメスの獲得に興味を示していると言われています。スペイン国内でもバルサとアトレティコが獲得を狙っていると言われているので、もし本当にこの5チームがマキシ・ゴメスの獲得に本腰を入れるとなれば、移籍金の交渉はセルタにとって有利な形で進む可能性もあります。
率直に言ってマキシ・ゴメスの移籍に関する現在の状況はセルタにとって都合がいいとも言えます。マキシ・ゴメスの代理人は、マキシ・ゴメスのサラリーが低すぎるとして度々セルタの経営陣と対立しており、その関係性は良いとは言えない状況です。
結果を出そうと無い袖は触れないセルタと、高く売れる今の段階でサラリーもキャリアもステップアップできる可能性のあるオファーが届いている可能性があるマキシ・ゴメスと代理人側の利害は一致しているため、この移籍は予想よりも早く決着が付く可能性があると考えられます。
モウリーニョ会長就任で変化を始めたセルタの経営
2006年まで11年間に渡りセルタの会長職を務めたオラシオ・ゴメスに代わり、歴代のセルタ会長として最長となる13年目の在任となっているカルロス・モウリーニョ。
就任当初に行ったクラブの財政健全化に向けた大改革は当時多くのファンの間で大論争を巻き起こしました。最たるものがそれまでチームを引っ張り、セグンダAに降格した際にも移籍をせずチームに留まって昇格へ貢献したグスタボ・ロペスへの「0ユーロ提示」でした。
2007年に起きたこの出来事にファン達は怒り狂いました。
キャプテンとしてセグンダAでもセルタに残り、昇格に向けた大車輪の活躍をした大功労者。90年代のヴラド・グデリ同様の結果を残し、なおかつアレクサンデル・モストヴォイとヴァレリー・カルピンの2人が去った後たった1人でセルタを支えたと言ってもいいグスタボ・ロペス。
そのグスタボ・ロペスをいとも簡単に切り捨てる敬意の見えないやり方に、ファンからはモウリーニョ自身の退任を求める声すら上がりました。経営面でこれ以上グスタボ・ロペスのサラリーを払い続けることが不可能であることや、UEFAカップ連続出場、そしてチャンピオンズリーグ出場を成し遂げる中で行った移籍に関わる費用の支払いが重なり累積赤字が膨らみつつあった中で、クラブが経営方針の大転換を行う必要に迫られていたことは事実です。
しかしあまりに性急に見えるモウリーニョのやり方と、詳細が不明なままファンへの別れをバライードスで直接告げることもできずにビーゴを去っていったグスタボ・ロペスの姿はあまりにも対照的で、その悪い意味でのコントラストがモウリーニョへのファンの反発を呼んだと言ってもいいでしょう。
このグスタボ・ロペスへの対応が正しいものだったかどうかは今でも議論が分かれるところですが、少なくともこの13年間でセルタの状況はかなり改善されているのは事実です。
モウリーニョと彼の経営陣が取り組んだのは下部組織の整備でした。90年代後期〜2000年代初頭にかけて行われたような、各国の代表で主力を務めるレベルの選手を毎年獲得することよりも、クラブの中から戦力になる選手を育て上げて戦力にする。モウリーニョの計画で基本になった考え方はいわゆる「カンテラ主義」でした。
この時期にセルタでのキャリアをスタートしたのが現在キャプテンを務めるDFウーゴ・マージョであり、GKセルヒオ・アルバレスであり、そしてFWイアゴ・アスパスです。
実兄のジョナタン・アスパスもセルタの選手だったイアゴ・アスパスは紆余曲折を経てセルタに復帰した後、クラブの象徴的な存在にまで昇華し3年連続のサラ賞(スペイン人最多得点選手賞)を獲得するまでに成長。最大のライバルであるデポルティーボ・ラ・コルーニャのファンからは親の仇のように忌み嫌われ、アスパスを侮辱するためだけの歌が作られるまでになっています。
並行してモウリーニョが取り組んだのはセルタ・デ・ビーゴというクラブのブランディングとマーケティングでした。モウリーニョの就任当時、ビーゴ市とセルタの関係は悪くはないものの、ビーゴ市からの直接の支援は受けられていない状況でした。
2018年ワールドカップ招致運動に合わせて動き出したスタジアム改修計画
2003−2004シーズンに初出場したチャンピオンズリーグでしたが、ホームスタジアムであるバライードスはチャンピオンズリーグの試合を開催するための安全基準がギリギリで、リオ・アルトと呼ばれるメインスタンド側の屋根は老朽化。一部はUEFAの基準に達していませんでした。応急処置が行われたことにより何とかチャンピオンズリーグの開催は実現できたものの、それ以降もスタジアムの抜本的な改修が行われることはありませんでした。
バライードスの正式名称は「エスタディオ・ムニシパル・デ・バライードス」。日本語に訳すと「市営バライードス・スタジアム」となります。そのためセルタ側がいくら改善要望を出そうとも、ビーゴ市側の予算がおりないことにはバライードスの改修や補修は実現できません。
2003年の時点で前会長オラシオ・ゴメスはバライードスの改修提案を行っていましたが当時のビーゴ市長によって却下。メインスポンサーの1つである地元銀行Caixanova(カイシャノーバ)はオラシオ・ゴメスの改修案と費用を承認していたものの、肝心のビーゴ市とセルタ最大のスポンサーであったプジョー・シトロエンの承認を得られずこの計画は頓挫します。これがモウリーニョ就任前の状況でした。
モウリーニョは会長に就任した2006年以降、頻繁にビーゴ市長との会談や交渉を行いバライードス改修に向けた動きを続けました。時に引き、時に脅し、あの手この手でビーゴ市に働きかけ続けます。その働きかけの中には「セルタはビーゴ市外へ移転する」「その場合はクラブ名はただの”Real Club Celta”になる」などのギョッとするような脅しもありました。
状況が変わり始めたのは2009年。2018年のFIFAワールドカップ開催地に立候補していたスペイン国内で、当時のビーゴ市長サンティアゴ・ドミンゲスと手を組んだモウリーニョはビーゴとバライードスを再度ワールドカップ開催地にするために動きます。
結果的にドミンゲス市長は正式にレアル・フェデラシオン・エスパニョーラ・デ・フッボル=王立スペインサッカー協会(RFEF)へビーゴの開催地立候補と、バライードスの拡張改修計画を提出します。最終的にスペインは2018年のワールドカップ開催地としては落選しましたが、これを機にバライードスの改修計画は前進することになりました。
結果的に2015年6月8日、ビーゴ市があるポンテベドラ県の首相ラファエル・ロウサンとビーゴ市長アベル・カバジェーロの間で正式に調印が結ばれ、総工費2970万ユーロの改修を実施することで合意。そのうちセルタ・デ・ビーゴが200万ユーロを一部出資することで、ついにセルタはバライードスの運営権を一部手にすることになったのです。
最大収容人員31,800人であるバライードスを最大収容人員42,381人まで拡張。周辺の交通状況対策として現在はバックスタンドであるトリブーナの正面に位置する駐車場を地下駐車場へ改修。トリブーナ、ゴール裏スタンドであるゴールとマルカドール、そしてリオ・アルトの拡張やショッピングセンターの併設による地域経済活性化案など、計画項目は多岐にわたります。
バライードスにはこれまでクラブのオフィシャルショップ、旅行代理店数社などが入居していましたがバライードス周辺はそもそも住宅街。平日も週末もオフィシャルショップ以外にはほぼ誰も足を運ばない状況であったため、この計画案は周辺住民の利便性を高めるという意味ではビーゴ市としても歓迎すべきものでした。高齢者世帯の多いバライードス周辺住民からしてみれば、目と鼻の先に見えるバライードスで日常の買い物が事足りるとなれば文句なしです。
また、バライードスは1982年のFIFAワールドカップスペイン大会でグループリーグ3試合が行われており、もともと過去には国際基準を満たしていたレベルのスタジアム。1998年にはローリング・ストーンズのライブも行われるなどイベント会場としては申し分ない施設であることは明白でした。
ブランディングとマーケティング戦略でファンを取り戻したセルタ
バライードスの改修、運営権確保の計画と並行してモウリーニョが進めていたのがクラブのブランディングとマーケティング活動でした。
公式Webサイトのドメイン変更と整備。オンラインでのチケット販売。ユニフォームを始めとするグッズのオンライン販売。クラブ主催のアウェーツアー。新モデルユニフォームのオフィシャルショップでのお披露目。Twitter、Facebook、Instagram、YouTubeなどSNSアカウントの開設。マーチャンダイズに使用する公式フォントの作成とロゴの作成・統一。
モウリーニョ本人も積極的にファンの前に姿を見せ、クラブの公式媒体やアカウントを通じて活動の詳細や計画についてファンに粘り強く語りかけ続けました。
もともとモウリーニョ本人は実業家で、現在もGESというガソリンスタンド運営会社をはじめ、4つほどの企業を所有・経営するビジネスマンです。前述のマーケティング・ブランディング活動の重要性はモウリーニョ本人が一番良くわかっていたのでしょう。さらにモウリーニョ自身もビーゴ出身。移転騒動をぶち上げた時には、果たしてビーゴ出身でありながらセルタ・デ・ビーゴというクラブそのものに強い愛着と思い入れがあるのかどうか、個人的には疑問がよぎったのですが、その後の経緯を見る限りあの移転騒動は一か八かのブラフだったのかもしれないと今では思っています。
ともあれ、1998年〜2004年までの「まあまあ強いこともあるセルタ」しか見たことのなかった若いファン達は、徐々にモウリーニョのプロジェクトに理解を示すようになります。90年を数えるクラブの歴史の中で、強いと思える時代がわずか10年にも満たないクラブであることを自覚しつつ、地元の選手が目の前で戦いビーゴの町を代表するという郷土愛的なドラマにのめり込み始めた結果、例えば今シーズンは降格が迫ると同時にバライードスの観客達は20年前には考えられなかった熱量でクラブをサポートするようになりました。
発煙筒を焚き、チームバスと並走しながら道を埋め尽くしたファンたちが大声で歌い、鼓舞する。ファン達が自発的にバライードスへ集まり気合を入れる雄叫びを上げる。UEFAカップで準々決勝へ進出したときでさえこのような行動が見られなかったセルタのファン。降格が見えた段階でバライードスへ行くのを諦め、声援もブーイングもまばらでバラバラだったセルタのファン。その彼らが1つになり、「この状況から必ず抜け出すんだ」という思いを込めガリシア語で作られたクラブの標語「A NOSA RECONQUISTA=これが我々のレコンキスタだ」の下で毎試合チームと選手達を鼓舞し続ける。
おそらく以前のセルタであれば今シーズンの奇跡の残留劇はあり得なかったでしょう。
アスパスの復活やウーゴ・マージョとセルヒオ・アルバレスの献身は確かに今シーズンのセルタを救ったのかもしれません。しかし、彼らが今シーズンセルタでプレーしているのは、紆余曲折と経緯があるとはいえクラブの現首脳陣が13年間に渡って地道に努力を積み重ねてきた結果でもあります。
足元を固めながら目指すセルタの未来とは
シーズン終了を報告する公式動画の中で、カルロス・モウリーニョはこう語りました。
今シーズンのような過ちを繰り返してはならない。幸いファンとクラブが総力を結集して我々はこの危機を乗り越えることができた。スペインサッカーの最高カテゴリーに我々の旗は来シーズンも留まることができる。
しかし、我々クラブ経営陣はこの過ちから学び、これを教訓として来シーズン以降のセルタ・デ・ビーゴがさらにより良いクラブとなるよう全力を尽くさねばならない。
そのためにもファンの協力とサポートが必要だ。どうかこれからも我々と共に歩んで欲しい。
Hala Celta!!
76歳になりやや衰えが見えてきたなと思わざるを得ない調子でしたが、目には力があったモウリーニョのメッセージ。おそらくモウリーニョが考えているセルタのプロジェクトはまだまだ年月を必要とするはずです。目先の勝利や欧州カップ戦への出場に一喜一憂するのではなく、地に足をつけた経営をベースにしながら地元自治体の協力を取り付け経済的な負担を減らしながら、地元に目を向けたブランディングとマーケティング戦略で収入の柱を作る。
下部組織の育成のためにミチェル・サルガードなどのOBを呼び戻して強化を推進し、外国人選手に依存しない強固なチーム基盤を作る。そのうえで足りない部分を移籍で補強しながら、少しずつ上を目指していく。
多くの中小クラブがやりたくてもなかなかできない計画を、セルタ・デ・ビーゴは目指そうとしています。
そしてそのためであれば、「安く買った外国人選手の1人」でしかないマキシ・ゴメスを売却するかしないかということは、大した問題ではないのかもしれません。高く売れるのなら売る。金額が折り合わなければ売らない。それだけのことでしかないのでしょう。
もし僕が思い、感じ取っているようなプロジェクトを本当にモウリーニョが、クラブとして目指そうとしているのであれば、僕は彼の就任後初めてその考えを支持したいと思っています。