元バルサ会長のジョアン・ラポルタ、現会長ジュセップ・マリーア・バルトメウの政策を疑問視
スペインの大手スポーツ紙AS、ラジオ局大手3社Onda Cero、Cadena SER、Cadena COPEがそれぞれの番組内で報じた内容によると、FCバルセローナの元会長ジョアン・ラポルタが現会長であるジュセップ・マリーア・バルトメウの政策を疑問視しているようです。
2003年にラポルタが会長に就任した後、翌2004年以降15年に渡ってスペインサッカーをリードし、多少の浮き沈みはあるもののチャンピオンズリーグを含めた数々のタイトルを牛耳っていると言ってもいい結果を残してきたバルセローナ。
現在のバルサの歴史はラポルタと共に始まったと言ってもおかしくはありません。
ラポルタが会長に就任した経緯
FCバルセローナでは1978年以降22年間に渡ってジュセップ・リュイス・ヌニェスが第35代会長として超長期政権を維持。同時期にアトレティコ・マドリーの会長を務めたヘスス・ヒル・イ・ヒルと並んで「スペインサッカー名物会長」の2大巨頭として名を馳せていました。
1978年、ヌニェスはバルサが初めて実施したソシオ参加型の民主的選挙によって会長に当選。それまでクラブ幹部として実務にあたったことのないヌニェスはソシオにとって無名の存在でしたが、建設会社とホテルチェーンを保有・経営するヌニェス・イ・ナバーログループを傘下に持つ実業家として強力な経済基盤を持っていました。
潤沢な政治資金を元に票を集めたヌニェスは会長に当選後、数々の有名外国人選手の獲得を進めます。かつて在籍したヨハン・クライフを1988年に監督として呼び戻し「ドリームチーム時代」を築き上げました。しかし1999−2000シーズンの成績不振と、1997年のオランダ人監督ルイ・ファン・ハール就任以降に起きた「オランダ人偏重のチーム構成」「カタルーニャ人選手の大幅減少」などに端を発したファンの大規模で強烈な反発に対して責任を取る形で2000年夏にとうとう辞任。後任の会長職にはヌニェスの右腕として「金魚のフン」と呼ばれたジョアン・ガスパールが就任しました。
体調を崩しがちだった会長職末期のヌニェスに代わり度々メディアの前に姿を表し、ヌニェス同様の強気な姿勢を貫いていたガスパールでしたが在任4年間でタイトルはゼロ。結果として2003年に会長選挙が行われることになり、その選挙でラポルタが当選を果たします。
ラポルタはクライフがヌニェス時代に築き上げたスタイルの信奉者で、会長選挙時にもファンに対してクライフとの関係性の強さを度々強調。ヌニェス時代末期のファン・ハール監督政権で失われた、「カタルーニャのアイデンティティの1つ」としてのバルサに対するファンのノスタルジックな懐古願望を煽ることで大きな支持を獲得します。
ラポルタは会長就任直後にクライフの推薦に従ってフランク・ライカールトを監督として招聘。同時にブラジル代表MFロナウジーニョ、スペイン代表FWルイス・ガルシア、メキシコ代表MFラファエル・マルケス、オランダ代表DFジョバンニ・ファン・ブロンクホルストなどを獲得。
翌2004年にはカメルーン代表FWサミュエル・エトー、スウェーデン代表FWヘンリク・ラーション、フランス代表FWリュドビク・ジュリ、ポルトガル代表MFデコ、ブラジル代表MFエジミウソンを獲得。さらにバルサBからはリオネル・メッシをトップチームに昇格させることを決定し、以降の黄金時代に向かう布石を作りました。
フランク・ライカールトが監督を辞任した後の2008−2009シーズンに向けては当時バルサBの監督を務めていたジュセップ・グァルディオーラを監督に指名。ダニエウ・アウヴェスやジェラール・ピケを獲得し、ペドロ・ロドリゲスとセルジオ・ブスケッツをバルサBから昇格させます。
最終的に任期満了に伴い2010年にラポルタはバルサ会長職を退きますが、今日まで続くバルサの黄金時代はラポルタ時代に端を発する物だと言っても過言ではありません。
スペイン国内の報道によれば、そのラポルタに今のバルサがどう映っているのかがある程度は見える内容の発言が飛び出していたようです。
バルサはそのスタイルを失いつつあるのか?
”ティキ・タカ”と呼ばれるショート&ダイレクトパスをつないでボール保持率を高め相手守備陣を無効化しながら得点を奪いに行くスタイルが、一体「誰のものなのか」という議論は置いておきましょう。いずれにしろ過去10〜15年間のバルサがそのスタイルを最も得意とし、スペインやスペイン代表の代名詞として使われる程のレベルにまで高まったのは事実です。
その「スタイル」がバルサから失われつつあるのではないかという質問に対してラポルタはこう答えています。
私の個人的な意見では、今のバルサがヨハン(クライフ)が築き上げた素晴らしいスタイルから離れつつあると感じている。ヨハンこそ我々を勝者たり得るものとしたスタイルの父だと私は考えているが、少なくとも今シーズンに関してはチームもクラブもそのスタイルから離れたものだったようだ。
端的に言って、私から見て現在の首脳陣は明確な施策を持っていないと思うし、少なくとも具体的な計画性のようなものがないと感じる。ラ・マシアはさらに1年間トップチームから乖離した状態で、この状態は一刻も早く改善しなければならない憂慮すべきものだ。
今シーズンのような不安定で残念な結果に対して、状況を改善するための最適なアイディアと基準を明確に持っている人間が果たしてクラブにいるのか私は疑問に思っている。こういった状況は悪循環と言って差し支えない。
例えばこういうことだ。「リヴァプールに負けた」ではなく「なぜ、どのように負けたのか」と考えるべきだ。もしあの敗戦がバルサのスタイルによって負けたということならば、スタイルが悪かったということだ。
ラポルタが言っていることは、シャビ・エルナンデスが引退発表に際してメディアに公にした文書に記されていた内容とも若干リンクします。
ラ・マシアを重要視する関係者や元選手にとっては、ラ・マシアのスタイルこそクライフが1988年から作り上げたバルサのスタイルそのものだという意識が強いということを如実に表している発言だと言えるでしょう。
メッシについて
ラポルタはさらに続けてアルゼンチン代表FWリオネル・メッシについても言及しています。
シャビ・エルナンデスとアンドレス・イニエスタが相次いでクラブを去ったことにより、バルサの中ではメッシにかかる期待やプレッシャー、そして求められるリーダーシップの割合がここ数年で最も大きいものになっていると言われています。そのことに対してラポルタは、次のように語っています。
私はメッシに今以上の期待や責任を押し付けることは不公平なことだと思う。彼はチームにもファンにも全てを与えている。しかし一方ではメッシ本人に対しても、彼のスタイルとプレーが世界のサッカーシーンで輝けるように手助けをできる”チーム”が必要なのだ。
メッシや他の素晴らしい選手達を抱えているにもかかわらず、自分たちのスタイルから離れていくことによってヨーロッパで、チャンピオンズリーグで勝利することから遠ざかってしまったというのは非常に残念なことだ。特にチャンピオンズリーグでは自分たちの本質ではなく単なる結果を求めるようなプレーをしてしまえばそこで終わってしまう。
文脈から推測するとリヴァプールとのチャンピオンズリーグ準決勝第2戦のことを指しているのだろうと思います。
確かにアンフィールドでのリヴァプール戦では明らかにボール保持率はリヴァプールが上回っている印象が強かったですし、南米ESPNのスペイン語実況では「今日に限って言えばリヴァプールのほうがバルサらしいサッカーを展開している」とまで評していました。
またメッシはリヴァプール戦後に行われたランダムなドーピング検査に選ばれた結果、空港への到着が遅れていました。そのメッシに対し、待ち構えたファンが「レオ!お前がリーダーなんだ!お前が何とかできなくて誰がチームを勝たせるんだ!」と、まるでメッシだけがバルサを救えるかのような発言をし、メッシがそれに対して声を荒げる場面が動画で拡散しています。
メッシがいかに優れたサッカー選手であっても、1人で全てをできるわけではありません。バルサには他にも素晴らしい選手がいる中でこうした声が上がるということ自体、周囲がメッシだけに全ての重責やリーダーシップの発揮を求めている証拠になってしまっているとラポルタは言いたいのでしょう。
ネイマールか、グリーズマンか
2017年の夏に突如バルサを去りパリ・サンジェルマンへ移籍したブラジル代表FWネイマールですが、チームメイトであるウルグアイ代表FWエディンソン・カバーニとの関係が悪いと常に言われています。
さらにネイマール自身が本心ではバルサに戻りたがっているという噂が上がっており、さらにネイマールはパリ・サンジェルマンに退団の打診をしているとも言われています。一方でアトレティコ・マドリーを退団すると宣言したフランス代表FWアントワーヌ・グリーズマンの最有力移籍先がバルサであるとの噂も昨年来公然と語られているため、巷では「ネイマールを取るのか、グリーズマンを選ぶのか」という根拠のない2択論が渦巻き始めています。
ネイマールかグリーズマンか?・・・もし私が会長に戻ることになればそれについて発言しよう。1人のファンとして見た場合、ネイマールは偉大な選手の1人であることは間違いない。ネイマールはメッシの隣にいる時、最も多くのものを生み出すことができる選手だ。その意味では全ての選手、特に偉大な選手であればあるほどメッシの隣にいることでより高いプレーを見せることができる。
付け加えれば、ネイマールは誰が彼を自由にさせてくれてるのかを理解できる謙虚さを持っていた。メッシに受け入れられた選手達は誰しも成長できる。そしてネイマールはその中でも最たるケースの1人だ。ネイマールはパリ・サンジェルマンを率いることになったが、状況的に見てみればそれが実現できていないことは誰しも知っている。だがそれは彼の責任ではないし、そもそも選手1人に背負わせるべき責任ではない。
グリーズマンに関して言えば、私個人はグリーズマンを獲得しようとは思わない。現首脳陣は獲得するかもしれないが・・・。そうだとしても今のタイミングでバルサに良いことだとは思わない。そのような移籍はシャツを着替えるようなものでしかない。新しいシャツは誰しも気に入るものだろう。誰もがバルサの移籍に関しては自由に意見することができるはずだが、私だったら行わない移籍だと言っておこう。
そもそも”バルサのスタイル”を取り戻すためには、そのスタイルのためにスタイルの中で生まれでた選手達が必要だ。ちょうどヨハンが我々にその重要性を教えてくれたように。そのためにはどのような計画が行われていくのかが明確に示されていなければならないいはずだが、現在5人いるスポーツディレクター達は何もメッセージを発していない。
まさにそれこそが正さなければならない過ちだと私は考えている。
巷で話題に上がっているネイマールとグリーズマンの件について、ラポルタはこのように発言。
一貫してあくまでもラ・マシアで育った選手がバルサのベースとなるべきだという考えを持っていることがよくわかります。
ラ・マシアに関して
そのラ・マシアに関してラポルタの意見はこうです。
今現在のラ・マシアを見れば一目瞭然のことだが、そこに明確な方針や計画は反映されていない。バルサが持続的に発展するためにはラ・マシアが機能しているが前提であり、ラ・マシアこそがバルサのモデルにおける柱の1つだ。
今のバルサはスタイルにもラ・マシアに対しても忠実ではない。それは否定できない事実だ。
ラポルタは一貫して現在の首脳陣が、かつてヌニェスとクライフが基礎を作り、自身が従ってきたラ・マシアとバルサに哲学に対して忠実ではないということを言っています。
確かにここ数シーズンの間、バルサBから昇格し主力にまで上り詰めた選手はほとんどいません。カルレス・アレニャーには希望の光を見出しているファンが多いようですが、そのアレニャーも例えばかつてのイニエスタやメッシほど強烈な印象を残せているわけではありません。
グァルディオーラはバルサのスタイルに忠実だったのか?
現在ではバルサファンを含めた世界中の多くのサッカーファンが、ジュセップ・グァルディオーラはラ・マシアをベースとしたバルサのスタイルに忠実だったと考えていますが、実際にはどうなのでしょうか。ラポルタの意見はこうです。
「グァルディオーラがバルサのスタイルに忠実だったか」というテーマに関して言えば、私はそうは思わない。確かに我々(当時の首脳陣)は彼と最高の時間を過ごした。そして敢えてその意味で言えば、私は彼がバルサのスタイルに忠実だったかどうかについては同意しない。
実際問題、我々は本来のスタイルからは遠ざかっていた。全ての試合を見ている私としては、ピケやブスケッツのように外からもたらされた要素がバックボーンになっていると感じている。メッシは本質的なものを兼ね備えている存在だが・・・(グァルディオーラの時代に)楽しめたのは実際にはメッシとチャンピオンズリーグぐらいのものだ。本来ならばもっと多くのものがもたらされるべきだ。
ペップのことはもちろん尊重しているが、個人的には本来のスタイルから遠ざかることになったと私は思っている。ペップは常に勇敢で、私の経験上から言えば非常に確立された自己を持っている人間だ。もし彼自身が移籍に関する全権限を持っていたとしたら、彼はどんな首脳陣だろうと首脳陣が行う移籍を許可することはなかっただろう。
世界最高の指揮官として今やヨーロッパ中のビッグクラブが欲しがる監督であるグァルディオーラ。
ラポルタ自身が会長の際にグァルディオーラをトップチームの監督として昇格させているにもかかわらず、グァルディオーラの哲学とバルサの哲学には相容れない部分があったと暗に発言しています。
確かにグァルディオーラ本人には頑固なところがあり、自分の考え方や哲学・スタイルにあわない選手はことごとく冷遇した過去があります。
例えばズラタン・イブラヒモヴィッチやトゥーレ・ヤヤ。サミュエル・エトーに関してもそうでした。
良し悪しはともかく、伝統的な「カタルーニャとクライフのバルサ」としてのラポルタが目指したバルサと、グァルディオーラが作り上げていた「グァルディオーラのバルサ」は似て非なるものでもあったのかもしれません。
バルベルデについて
では、去就が取り沙汰されている現在の監督エルネスト・バルベルデについてラポルタはどう考えているのでしょうか?
(バルベルデが続投ということであれば)それは首脳陣の判断であり、彼らがシーズン終了前に決定したことであって、私にはバルベルデ本人が自力で掴み取った結果なのかどうかはわからない。もし首脳陣がそう決定したのであれば、彼らにとってはバルベルデこそが首脳陣の計画を着実に遂行できるふさわしい人物だと判断したということなのだろう。ただし、私はそれが計画と呼べるものではないと思っている。
これまでプレースタイルにマッチしない選手達の移籍が数々行われてきたが、このオフシーズンに人々の注意をそらすために再び首脳陣が移籍市場に首を突っ込む様子を見ることになるだろう。
私は現首脳陣が持つ唯一の政策は我々が、あるいはグァルディオーラやクライフが過去に作り上げてきたものを打ち消すことなのだろうと思っている。そうとしか私には思えない。
ラポルタとしては過去から積み上げられてきた「現在バルサだと思われているスタイル」をバルトメウを始めとする現首脳陣が打ち消し、現首脳陣独自の考えに基づく「新たな別のバルサ」を作り上げようとしている、と思っているように感じます。
このラポルタの見方が正しいのかどうかはともかく、確かにここ2シーズンのバルサは以前のように高いボール保持率を維持する、いわゆる「ポゼッションサッカー」というものからは離れたプレーを確立しつつあるように見えます。
今シーズンはラ・リーガ優勝という結果のみでしたが、バルベルデ体制1年目で国内2冠を成し遂げるという一定の結果を残していることは事実。ですが、このことがラポルタに言わせれば「自分たちの本質ではなく単なる結果を求めるようなプレー」でしかないのかもしれません。
会長選挙への出馬について
仮に2018−2019シーズンの結果が、期待された「3冠」だった場合には会長選挙が行われ、バルトメウはそこでの再選を果たして長期政権を築くつもりだと言われていました。このことについてもラポルタは言及しています。
もし3冠が達成されていれば会長選挙の準備をするつもりだったことはわかっている。ただし、それはこの夏にだ。夏を過ぎてしまえば私にできることはない。
もしこの夏に会長選挙が行われないのであれば(クラブとチームの)状況が改善していくのを期待するしかない。・・・もっとも、私は彼らが明確な計画を持っていない以上は改善しないと考えているが。
彼らが計画と呼ぶものは非常に不安定だ。私にとってみれば、彼らのものは明確に考え抜かれた計画とは呼べないものだ。
ラポルタは徹底して、現首脳陣には明確な将来設計に基づいた計画が欠如していることを指摘しています。
創立120年を迎えたバルサが進むべき将来とは
ではラポルタの立場から考えるバルサの将来的な計画のあるべき姿とはどんなものなのでしょうか?
彼の発言からすれば、仮に会長選挙が行われるのであれば明らかにするつもりがあったようですが、いまのところバルサからは会長選挙を行う旨の発表はされていません。その状況では自分の中にある計画を口外するわけにはいかない、というのがラポルタの本心でしょう。
1899年に創立されたFCバルセローナは今年2019年で120年を迎えます。
カタルーニャ民族主義の高揚期と共に誕生し、1930年代のスペイン市民戦争、その後に続くフランコ独裁政権による民族主義的弾圧を乗り越えてきたバルサ。
スペインの中でも一際強いとされる民族主義的郷土愛を象徴する存在としても認識されるバルサ。
そのバルサが「本来」持っているべきスタイルや本質とは一体なんなのかを問いかけているようにも聞こえるラポルタのコメントの数々は、とても興味深いものです。
3年目を迎えようとしているエルネスト・バルベルデのバルサが120年というクラブの歴史にどんな色を加えようとしているのか。もしかしたら2020−2021シーズンはそんな見方をしてみるのも面白いかもしれません。