2012年11月25日:ボンボネーラへ
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「さあ、お客さんがた!出番だぜ!!」
と叫んだ大男は、すでにいくつかのグループに分かれていた僕たち「顧客」を手際よく並べ直し、引率役らしき人物に何事か指示しながら同時に何かを手渡して始めました。
最初は報酬か何かなのかと思っていたのですが、どうも違うようだということが何となくわかった時、大男は僕に近寄ってきて話しかけてきたのでした。
「アンタ、スペイン語は話せるな?今から俺が言うことをこの”外人”に英語で説明できるか?」
思わず「スペイン語は普通に話せるよ」と答えた直後、僕は「おいおい、ちょっと待てよ」と思い直しました。
おかしいではありませんか。
「ちょっと待った。俺もあんたにとっちゃ”外人”なんだけど?」
と僕が突っ込むと、大男は肩をすくめながら
「だからスペイン語を話せるか聞いたんだろ?スペイン語で話が通じるなら別にお前さんの国籍がどこだって構いやしない。スペイン語さえ話せれば仲間みたいなもんだ」
と真面目な顔で嘯きました。
確かにスペイン語圏の人間には「スペイン語を話せるなら仲間」みたいな感覚があることは理解できますが、だからといってこの大男が口にしたことはどう考えてもおかしいとしか思えません。
明らかにアジア人の僕に対して、アルゼンチン人がスペイン語で話すことをドイツ人に英語で通訳しろとは、いろいろズレているとか思えないのです。
「今この外人と英語で何か話していただろう。大丈夫だって。それにもう時間がない。いいか?今から言うことをこいつに話してくれ」
もうめちゃくちゃです。
正直言って、僕は英語よりスペイン語のほうが圧倒的に得意ですし、言い換えればそんなに英語が得意な方ではありません。
仕事で英語を使わなければいけないときでも単語や言い回し、相槌などがスペイン語とごっちゃになって話し難いレベルなのです。
とはいえ、他にこの場でスペイン語−英語の通訳という役回りをこなせる人物は他にいそうもありませんでした。よくよく考えたら英語で完璧に説明できなくても、大男が何を言いたいのかがスペイン語で理解できてさえいれば、最悪の場合僕が気をつけることでなんとでもなるような気もしてきました。
通訳するから何を言えばいいのか教えてくれ、と覚悟を決めた僕が大男にそう言うと、大男は「そうこなくっちゃな!」とウインクしながら僕の肩を叩き・・・などというB級映画やマンガのような展開はなく、単に問答無用で自分の言いたいことを話し始めたに過ぎませんでした。
「先導役の男がいるだろう。そう、あいつだ。あいつがあんたら全員が中に入るためのカードを持ってる。紙のチケットじゃなく、カードだ」
大男があごで指した方でブラブラと立っていた若い男が、手に持ったカードを僕にチラリと「これだ」というように見せて来ました。
「あれは・・・ソシオカード?」
「さすが理解が早いな。助かるぜ。てことは、入る時と入った後に何が必要なのかわかるな?」
なにが「さすが」なのかさっぱりわかりませんが、どうやらこの大男は僕が相当場馴れしていると踏んでいるようでした。
「まず、グループ毎に別々のゲートから入る。一人ずつカードを持ってゲートをくぐるんだ。ただし、必ず指定された番号のゲートから入れよ。そしてゲートをくぐったらカードを外にいるやつに渡す。これが一番重要だ。くぐったらすぐに返すんだ」
要するにこういうことです。
番号が振られた複数の入場ゲートがあり、グループ毎に入るゲートが決まっている。ゲートを通るにはソシオカードが必要で、ソシオカードを使って入場ゲートを通ったら外にいる案内役にソシオカードを返却する。
おそらく入場ゲートの係員も彼らの仲間なのでしょう。
セルタもそうですが、ソシオカードは通常だと必ず氏名が書いてあるものですし、場合によっては顔写真がついているものもあります。
例えばどこからどう見てもアジア人の僕が「エセキエル・アンヘル・ゴンサーレス・フェルナンデス」などという名前のソシオカードで入場しようとしたら、「身分証明書を見せろ」と言われるに決まっています。
そんなことにならないように、出されたカードはすべからくスルーするような係員を買収するなりなんなりして、誰でもゲートを通れるようにしているのが彼らのやり口ということなのだろうと僕は考えました。
「・・・と、いうことらしいんだけど、OK?」
僕はひとまず自分で理解した内容を、世話することになっていたマティアスに伝えました。
「大丈夫。ドルトムントにも昔似たようなことをやっている人達がいたよ」
マティアスは特に驚いた様子もなくうなずきます。
ですよね〜、と僕は思いながらすっかり安心したような様子になっているマティアスを眺めていました。
大男から面倒を見ろと言われた瞬間に見たマティアスはいかにも不安そうな雰囲気を醸し出していたのですが、かろうじて英語が通じる僕が現れ、多少なりともコミュニケーションが取れて状況の把握ができるようになったことで不安が取り除かれたのでしょう。
気持ちはわかります。
僕が海外にいて最も不安になるのは「周囲で何が起きているのかわからない時」です。
事故や災害、テロなどが起きていることが理解できない場合、それは命に関わります。
幸い僕はスペイン以外でテロ事件と遭遇したことはないのですが、初めてスペインに行った1999年に周辺でテロが起きていた場合、おそらく僕は何も対応できずに右往左往するだけで終わっていたことでしょう。
視界に事象が映っていたとしても、それが何なのかが理解できなければ対処のしようがありませんし、目の前で起きていることを理解するためには言語情報が大きな助けになることが多いというのが僕の持論です。
人間は視覚、聴覚、嗅覚で多くの情報を処理し理解するわけですから、そのうちの一つである聴覚が意味をなさなくなるに等しい「言語情報がわからない」という状況は、場合によっては致命的になると言っても過言ではないでしょう。
目の前で自分に話しかけてくる笑顔の男がいたとして、「笑顔だから無害」とは限りません。
もしかしたら「笑顔で金品を要求している」可能性だってあるわけです。それを理解するためには言葉がわからなければいけませんし、もしそこで相手の言っていることが理解できずにこちらも笑顔を返そうものなら、その場で殺されることだって無いとは言い切れないのです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、実際に「言葉がわからないがゆえに命を落とした」という事件は世界中で枚挙に暇がありません。
だからこそ、僕は言葉がわからないのにこんなところまできてこんなことをしているマティアスに驚くのです。
正直言って、マティアスに関してはよくやるなとは思ったものの、この感情は必ずしも肯定的な意味だけではありません。
もしこの大男達の集団が犯罪組織だったらどうなるでしょうか。
おそらく彼は何もわからないまま犯罪に巻き込まれ被害者になるでしょう。彼がスペイン語を理解できないことが理由で僕が彼の面倒を見ることになったが故に僕が彼と行動をともにすることによって、僕も被害にあうかもしれません。
はっきり言って、そんなことになるのは文字通り「冗談じゃない」としか僕には思えません。
見ず知らずの、スペイン語がわからないドイツ人の青年の面倒を見ながら自らも犯罪の被害者として巻き添えになるなど、まっぴらごめんなのです。
そのため、マティアスには申し訳ありませんが僕は何かあったら一人で逃げるつもり満々でした。
「自分さえよければいいのか」と言われるかもしれませんが、母国でもなく、旅先で、頼る人間もいない状況で赤の他人を助けて命を落とすことになったとして、一体誰が得をするのでしょう?
一人であれば周囲の人間たちが何かを企んでいたとしても聞き耳を立てておいてすきを見て逃げることだってできるでしょう。しかしスペイン語がわからない人間に状況を説明するような余裕はありません。
言葉がわからない、というのは、自分だけでなく周囲も危険に晒す可能性があるリスクある状態だということは、海外旅行をする上で頭に留めておくことではないかと僕は思うのです。
とはいえ、これまで見ている限りでは僕たちにソシオカードを提供してくれる(であろう)連中が犯罪組織であるとは思えませんでした。
あまりにも人が顔を晒しすぎていますし、何よりどこからどう見てもただのボカファンだったからです。
大男の手下に引率され、僕たちは一歩ずつボンボネーラに近づいていきます。
これはヨーロッパでの話にはなりますが、サッカースタジアムと教会や大聖堂のような建物が持つ雰囲気には大きな類似性があると僕は感じていました。
多少オカルト的なことを言うと、「霊的な何か」とでも表現できそうな一種独特の雰囲気や空気感のようなものが建物だけでなく、周辺を含めた空間に満ちているとでも言えばいいでしょう。
例えばカンプ・ノウやサンティアゴ・ベルナベウ、ビセンテ・カルデロンのようなスタジアムに行くと、そこで起きた様々な出来事や行われてきた様々な試合について事前知識があるからという前提はあるにせよ、何かしらの威圧感のようなものを感じます。
それはサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂や、セビージャの大聖堂、バルセローナのサグラダ・ファミリアや、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂などから感じる空気感にとても良く似たものでした。
徐々に近づいてくる青と黄色に塗られた、「チョコレート箱」と呼ばれるエスタディオ・アルベルト・ホセ・アルマンド。通称「ラ・ボンボネーラ」からは、見た目だけではない独特の雰囲気を感じることができました。
当たり前のことと納得しつつもその空気を感じたことに喜びを感じ、そして僕は「ああ、やはりここは本物なのだ」としみじみ思ったのです。
テレビ画面が白く覆われるほどの紙吹雪。
プレーする選手たちは邪魔に思わないのかと不思議になるほどピッチに溢れる紙吹雪。
なぜか青と黄色のユニフォームの前にこぼれるボール。
そして歓声と嬌声と、雄叫び。
カニーヒアが、マラドーナが、バティストゥータがプレーしたそのピッチが、目の前に迫ってくるスタンド外壁の向こうにあるのだと思うと僕はなぜかニヤつきを抑えられず、なおかつ妙な鳥肌が立つのを感じていたのでした。
青い壁の向こうに
ボンボネーラの入場ゲート前にはむせ返りそうなほどの人が溢れていました。
入場のために渡されたソシオカードのゲート番号と、そこに書かれていたスタジアム内のエリア名を見る限り、おそらく僕たちが入れる場所はテレビ画面で言うと右側のゴール裏にあたる場所になるようだということがわかりました。
スペインでも頻繁にゴール裏で試合観戦をしたことはありましたし、日本でJリーグを見るときもゴール裏で見ることのほうが多かったため、ゴール裏での観戦そのものには一切抵抗感はなかったのですが、問題は安全面のことでした。
アルゼンチンのものが特に有名ですが、南米のゴール裏やそこに近いエリアには、ヨーロッパで言う「ウルトラ」に近い「バーラ・ブラーバ」と呼ばれる過激派グループが陣取っていることが多いと知られています。
もともと1920年代にアルゼンチンで生まれたと言われているこのバーラ・ブラーバ達は、年月と紆余曲折を経て、時には犯罪集団の隠れ蓑、時にはクラブお抱えの自作自演役者、時には(表向きは)クラブによる非公式な(実力行使による)意思表明機関としての役割を担ってきました。
相手クラブのウルトラ達への威嚇・挑発。警察組織への(あらゆる手段を用いた)意思表示。
そして、クラブの成績に準じて発生する数々の事象。
そういった諸々がバーラ・ブラーバ達によってもたらされ、そしてそれは時にアルゼンチンサッカーにおける暗部としても語られることの多い存在として知られています。
真偽の程は(表向き)定かではありませんが、一説によればあるバーラ・ブラーバの組織はクラブから「給与」の支払いを受けながら活動しているだとか、それが故にクラブに対する一種の否定的なファンムーブメントをスタジアム内で「何らかの手段」を用いて未然に防ぐ役割も持っているだとか、その手の話も数々伝え聞いたことがありました。
世界中どこでもそうですが、あらゆるサッカースタジアムでゴール裏の席というのは最も価格が安く設定されています(プレミアリーグはそうでもないようですが)。
そして、現実問題として価格の安いチケットを購入してサッカーを観に来る客層には低所得層の大衆が多く、低所得の大衆が多く集まるところでは暴力がはびこりやすいという傾向があります。
ゴール裏に代表される低価格チケットエリアでの観戦を好んで選択する人々も一部には存在しますが、少なくとも僕の知っている社会。すなわち、スペインや南米では個人の社会的ステータスが上がるにつれて、そうした低価格層でのサッカー観戦を避ける、というのは様々な意味でのリスク回避のために必要なこととして認識されていました。
一人の日本人サッカーファンとしては、「南米で、ボカのホームスタジアムであるボンボネーラのゴール裏に潜入してラシン戦を観戦」という事実は一つの話題として「おいしい」部類のものでもあり、同時に得難い経験として自分の中に大事な思い出として残っていくものであることは間違いありません。
しかし、だからといって他人に同じことを勧められるかというと、僕は勧められません。
このブログ記事を書いているのは2020年4月です。
アルゼンチンのボカ・ジュニオルスとリーベル・プレートにより2018年11月11日と24日に行われるはずだった南米のクラブ王者決定戦であるコパ・リベルタドーレスの決勝。
結果的に11月24日に行われるはずだった第2戦は12月9日に延期されたうえ、歴史上初めて南米クラブ王者を決める試合が南米以外で行われるということになりました。
そしてこの第2戦延期の原因となったのが、バーラ・ブラーバたちによる暴力でした。
ボカのバスを襲ったリーベルのバーラ・ブラーバ達が本来どこに陣取る連中だったのかは明らかになっていませんが、少なくともメインスタンドやバックスタンドに座るような行儀の良いファンでないことは確かです。
そして、そんな状況に放り込まれたらたとえスペイン語が理解できるといっても、僕自身きちんと対処できたかどうか自信がありません。
南米においていわゆる「アツい」試合を観に行く、というのは少なからずそのような不慮のトラブルや暴力沙汰に巻き込まれるリスクを選択するということにほかならず、何事も無ければいいものの、決して万人にオススメできる類のものではないのです。
そして、この2012年11月25日の夕方、ボカ地区のど真ん中で僕が向かう先というのが、まさにそのリスクの真っ只中だった、というわけなのでした。
目の前にそびえ立つボンボネーラは、多くのクラブにおいてそうであるようにスタジアムの外壁もクラブカラーである青と黄色で塗られており、僕達がくぐろうとしているゲートの目の前はちょうど青一色に塗られている場所でした。
遠目に見れば、それはさながら「青い壁に大量の人間が吸い込まれていく」ような光景だったのではないでしょうか。
知らない人や興味のない人が見たら一種異様な光景であることは想像できるのですが、サッカーファンとしてはたまらない光景でもあるでしょう。
何しろ、その青い壁の向こう側にはたしかな熱狂と情熱に溢れた世界が待っていることは明らかなわけですし、ここに来るということはそれを求めていることもまた、明らかなのですから。
Mi buen amigo
「取り越し苦労」「杞憂に終わる」というのはまさにこの日のことだったとも言えます。
結局ゲートはすんなりと通ることができ、僕たちは警備員に止められることもなく、驚くほどすんなりとボンボネーラに入場することができました。
ゲートを通った後に”ゲートを通らず”脇で待っていた手下の若者に堂々とソシオカードを手渡してもお咎めは一切なし。すぐ横に警備員がいたにも関わらず、です。
ふと気になった僕はその若者に「君は中で見ないの?」と尋ねてみたのですが、彼はニコニコしながらこう言いました。
「俺はチケット持ってないから、仲間とテレビで見るんだ。飲みながら見れるしね」
南米のスタジアムでは場内でアルコールが販売されていません。
基本的に手ぶらで入場することが推奨され、喫煙者の場合はライターなども没収されます。ペットボトルもフタの持ち込みは禁止ですし、缶類もダメです。
デニムなどパンツ系のベルトも没収されます。バックルなどが凶器になりますし、革ベルトの場合はそれ自体がムチ状の武器になりうるからです。
酒好きのファンからすればあれこれと禁止事項が多いスタジアム内で見るよりも、自宅や行きつけのバルやカフェで仲間と飲みながら大画面のテレビで見るほうが楽しい、ということもあるのかもしれません。
それに何より、この若者の場合は望めばいつでも仲間からカードを譲ってもらってスタジアムの中で見ることも可能なのでしょう。
僕はこれまでの人生において、その国を代表する「ビッグクラブ」のファンだったことがなく、なおかつビッグクラブの本拠地に住んだ経験もないため、ビッグクラブが日常生活の中にある感覚というものがいまいちよくわかりません。
常に勝利や優勝が期待できるクラブが生活圏内に存在していると、多少はサッカー的な観点でいう「余裕」のようなものが生まれるのだろうかと考えながら、僕たちはいよいよボンボネーラのスタジアム内部へ入りました。
そこは文字通りの「ゴール裏」。
椅子もなく、コンクリート打ちっぱなしのだだっ広い空間が横一線に広がっているだけです。
人を詰め込めるだけ詰め込むことだけが考えられた空間であり、「快適さ」を求める人間は絶対に訪れないであろう空間。クラブ側の思惑と、「ただ安く試合を見たい」観戦者側の目的という利害が一致している奇妙な融合の結果がこの空間なのでした。
本来なら地元ボカ地区の住民、アルゼンチン人で埋め尽くされるべきその場所に、僕は入り込んだのです。
思い出したように隣を見ると、スペイン語を話せないドイツ人のマティアスはいかにも普通の様子でゴール裏の様子を眺め回しながら、手にしたiPhoneでパシャパシャと写真を撮っていました。
「ドルトムントのスタジアムもゴール裏のチャントが有名だよね。君はスタジアムよく行くの?」
なにげなく僕が尋ねると、マティアスは目の色を変えてたどたどしい英語でまくしたてようとしてきました。
「僕はいつもこの種類のスタンドに滞在することにしているんだ。大きな声で歌うことが勇気をもたらすからね。ドルトムントのスタジアムはドイツでナンバーワンだよ。バイエルンもシャルケも消え失せるべきだ」
彼が口にした英語をそのまま訳すとこんな感じになるのだと思いますが、要するに「自分もスタジアムにはよく行くし、ゴール裏の住人だ。ゴール裏でチャントを歌うことでチームを鼓舞できるからね。スタジアムの雰囲気で言えば、バイエルンにもシャルケにも負けない、ドイツで最高のスタジアムだ」、ということが言いたいのでしょう。もちろん、最後の一文は本音だと思うのですが。
試合開始まではまだ1時間ちょっとあったので、回りのファンも打ちっぱなしのコンクリートに各々が腰を下ろし、何をするでもなく雑談をしながらキックオフを待っている様子でした。
グループで入場したとはいえ、マティアス以外のアルゼンチン人とは面識もない他人ですし、そもそも彼らはボンボネーラに入場した時点でどこかへ行ってしまっていたのです。
僕は、まるでマティアスと一緒にこの試合を観に来たような感じになっていたのですが、一人で長い間キックオフまでの時間を潰すのもなかなか暇なものです。ちょうどいいやということで僕もマティアスも交代交代でスタジアムの中を散策し、写真を撮って元の場所に戻る、ということを繰り返していました。
そうこうしているうちにピッチでは徐々に準備が整い始め、試合前のウォーミングアップが始まる頃には周囲は総立ちです。
雄叫びと拍手が鳴り響き、徐々にチャントが始まりました。
そのうちの一曲を耳にした時、僕は「これが本物か」と少し懐かしく、それでもやっと聞くことができた、という喜びに似た感情を抱きました。
ボカ、俺の最高の友人よ。
今ここで再び俺たちはお前と共にあろう。
全身全霊でお前を鼓舞しよう。
ここにいる俺たちこそ、お前が王者になることを望む”ファン”なんだ。
誰が何を言おうと、他の奴らが何と言おうと俺には関係ない。
俺はどこへだってお前について行く。
見るたびにお前に首ったけなんだ。
「Mi Buen Amigo」という名前で知られるこの有名なチャントは、ボカのファンが歌い始めたのが発祥だとも言われています。
実際にはリーベルや他のクラブでもクラブの名前の部分だけを変えて歌詞はほぼ同じチャントが歌われているのですが、おそらく一番有名なのはボンボネーラで歌われる「Mi Buen Amigo」ではないでしょうか。
「懐かしい」というのには理由があります。
僕は東京出身の東京育ちなので、1999年にFC東京がJリーグに加盟して以降、日本でサッカーを観る際は東京の試合を観ていたわけですが、東京のゴール裏で歌われるチャントのいくつかはボカのチャントが元になっていると聞いたことがありました。
You Tubeなどで原曲だと言われているボカの「Mi Buen Amigo」を調べた時、確かにリズムは同じで歌詞も東京ゴール裏で歌われているものとだいたい似たような内容だということに気づきました。おそらく東京のチャントを作る時にスペイン語がわかる人が翻訳を手伝ったのでしょう。
ともあれ、原曲の本物をボンボネーラで聞けるというのは貴重な体験でもあり、サッカーファンとしては知っているリズムのチャントが聞こえてくるだけでなんとなく安心するものです。
スタジアム全体でチャントが歌われ始めると同時に、360度全ての人間たちが立ち上がり、飛び始め、腕を振りながら叫び歌い始めた状況の中で、いつしか僕もチャントを口ずさみ、飛び跳ねていました。
何より、飛び跳ねなければピッチが見えない状況になっていたからです。
夜の帳がおり始め、そしてボンボネーラに試合開始の笛が鳴り響くのでした。
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つづく