2012年11月24日:ブエノスアイレス市、ラ・ボカ地区にて
第1話はこちら
「言いにくいんだが・・・」
とチケット売り場の係員は口を開きました。
予想通りの反応であったのと、もともと期待通りの結果が得られるとも思っていなかった僕は、スペイン語圏よく使われる「La verdad es que…」というそのフレーズを聞いた瞬間に全てを悟ったのでした。
つまり彼が言いたいのはこういうことです。
「ソシオ向けの販売だけでチケットは売り切れるため、一般販売は行われない」
と。
サッカー強豪国のビッグクラブではよくあることですし、それがスペインだろうとアルゼンチンだろうとブラジルだろうとどこだろうと、ビッグクラブの人気カードがソシオや年間会員向けのみに販売され、一般販売が行われないという状況は世界各国で共通の出来事です。
実際に僕もスペインで何度も同じような状況を味わったことはありますし、今回ブエノスアイレスで同じ目に遭遇したからといって大騒ぎをするつもりもありませんでした。
「サッカーは世界共通の言語」
というような格言にも似たフレーズがしばしば語られることがあるのと同様、プロのリーグ戦を取り巻く状況もまた、ある意味で「世界共通の事象」であることは間違いないのです。
なるほどわかった、と僕は係員に声をかけると、彼はすまなそうに「残念だったな、また次の機会があるといいな」と気休めに過ぎない優しい言葉を僕にかけてくれたのですが、この時点で次回のブエノスアイレス訪問が実現する保証はどこにもありませんでしたし、実際にこの時以来2019年11月の時点でも僕はアルゼンチンを訪問できていません。
だからといって僕は簡単にボカ対ラシンという絶好の好カードを見逃すつもりはさらさらありませんでした。
次にいつ来ることができるのかわからず、たまたまブエノスアイレスを訪れた機会に行われるこの試合を何の手も打たずに見逃すことなど、僕にはどうしてもできるはずがありません。
「点と点がいつか線になる。それが人生というものだ」
というようなニュアンスの言葉を語ったのはスタンフォード大学の卒業式に招かれた故スティーブ・ジョブズですが、まさにこの2012年11月24日の僕にとっては天啓とも言えるフレーズだったと言ってもいいでしょう。
ボンボネーラのチケット売り場を早々と後にした僕は、焦ることもなく苛つくわけでもなく、周辺の”散策”をすることにしました。
明らかに非公式としか思えない雑な縫製とデザインを堂々と白日のもとに晒しながら売られているパチモノのユニフォームを扱う店。
他にたいして来客もいないのに僕が席についても一向に注文を取りに来ず、スマホをいじり続けるウェイターがニヤついているカフェ。
「ラ・バンデェ〜ラ、デ ボ〜カ、パラ マニャ〜ァナ!」と世界中どこにいてもわかるようなアルゼンチン訛りでボカのフラッグを売っている老婆の露店。
手首から先をひらひら動かし、首ふり人形のように肩を揺らしながら話すアルゼンチン人のステレオタイプのような路上のおじさんたち。
そんな彼らを横目に見ながら、僕は「チョコレート箱」の外周をゆっくり、さらにゆっくりと歩いていきます。
季節的には南半球であるため「初夏」にあたるブエノスアイレスの11月24日午後は、太陽が高く昇り燦々と照りつけ、肌が軽く焼けそうな心地よい刺激を与えてくれています。
テレビで見たことのある大喧騒からは程遠い穏やかな雰囲気に包まれているボンボネーラの周辺を練り歩きながら、僕は様々な角度からボンボネーラの外観を眺めていました。
脳裏に残る数々のシーンを思い出しながら、それらのシーンやプレーが実際に行われた場所の周辺を散策するというのはそれだけでも僕にとっては楽しいことではあったのですが、もちろん最終目的はその中に入り実際にこの目でピッチを見ることです。
その目的は忘れてはいけない、と思いながら外周散策も3周目か4周目に差し掛かろうとした時、バックスタンド側の通りの向こうから誰かに呼び止められた気がしました。
「マエストロ!」
MIGUEL
「マエストロ」?
確かに取引先の一つである代理店の副社長マテオが見知らぬ人に道を訪ねようとして「失礼、マエストロ」などと呼びかけているのは聞いた記憶がありますし、「普通のことだ」と彼は笑いながら言ってはいましたが、それが果たしてアルゼンチン全土での共通認識なのかどうか判断できるほど、僕にはケーススタディが十分ではありませんでした。
しかし周囲には僕以外に人影はなく、誰かが呼びかけを受けているのだとすれば恐らくそれは僕なのではないかと思える状況にいたことは確かな事実でした。
声のする方向がどこなのかと首を振りながら周囲を見回してみても、声の主と思しき人物は視界に入ってきません。
しかし続けて
「”シャ”ポネェ〜ス?チィ〜ノ〜?オ コレアァ〜ノォ〜?」
と、どう考えても「アジア人のお前に話しかけているのだ」と言いたげな声が聞こえてきているため、僕は自分が誰かに呼び止められているのだという確信を得るに至りました。
「こっちだよ、こっちだ!アジア人のそこの旦那!マエストロ!」
ようやく声のする方角に気づいた僕が声のする方へ顔を向けると、空中に浮かぶ生首と目が合いました。
ギョッとしながらよくよく見てみると、それはスペインのバルセローナを走るタクシーとそっくりなカラーリングのタクシーの反対側からタクシーに寄りかかり、首だけを車の上からのぞかせて僕に声をかけている男の顔でした。
「そうだよ、アンタ!アンタだ!」
白髪交じりの短髪で黒縁メガネをかけた男は、これ以上は聞いたことがないというレベルのダミ声で通りとタクシーの反対側から僕に向かって叫んでいます。
僕はしらばっくれながらわざとキョトンとした間抜け面を演出し、自分の顔を自分で指差しながら「え?俺?」などとすっとぼけた反応をしてみることにしました。
男は「そうだ、アンタだ」とダミ声で繰り返しながら、ひらひらとタバコを持った手を振って自分のほうに来いと言いたいようでした。
「どうかした?」
と僕はまるで何もわかっていない初めてサッカー観戦に来たド素人のような顔で男に話しかけます。
「アンタ、ボカの試合を見に来たのか?」
と男から尋ねられた僕は、軽くうなずきながら答えることにしました。
「そうだけど、ソシオ向け販売で売り切れてしまって一般販売は無いと言われたよ」
僕の答えを聞きながら、男はそうだろうそうだろうとでも言いたげに何度もうなずきつつ、僕にとっては懐かしい、それでいて求めていた言葉を発しました。
「で、アンタどうするつもりなんだ?」
こういうセリフが出てくる場合、往々にしてこのセリフの主は「どうにかできる手段」を知っていることが多いということを僕はスペインでの経験上学んでいます。
僕は単刀直入に尋ねてみることにしました。
「どうにかできる方法、知ってる?」
男は真顔で数秒の間をとって僕の顔をじっと見つめた後、タバコを路上にポイと捨てながら
「アンタ、どこから来た?」
と尋ねてきました。
僕が「日本から来た」と答えると、男は「住んでるわけじゃないのか」と少し驚いたような顔をします。
まあそれはそうでしょう。2012年当時もブエノスアイレス在住の日本人は相当数いましたが、「石を投げれば当たる」と言えるようなレベルの人数ではありません。
一般的なアルゼンチン人にとっては、地球の裏側に住んでいるはずの日本人と遭遇する機会など、そうそうあるものではなかったはずです。
「日本!日本から来たってか!東京でボカがレアル・マドリーに勝って世界一になったのを覚えてるぞ!最高の試合だった。あの時は・・・」
男は恍惚とした表情で天を仰ぎながら2000年のトヨタカップでボカが勝利した時のことを語り始めました。
こういう場合、だいたい話を合わせたりしたほうが相手からの好意を受けやすくなると経験上学んでいた僕は、彼を焚きつけることに決めました。何しろ、僕は2000年の12月にはスペインにいて、その試合をテレビで実際に見ていたのです。思い出話ならいくらでも付き合える自信がありました。
「”ロマン”(※フアン・ロマン・リケルメ)とパレルモがいたよね。バロシュケロット兄弟もいなかったっけ?GKはあの時アボンダンシエリだったっけ?コルドバだったっけ?」
彼の脳裏に色濃く残っているであろう20世紀最後のトヨタカップを勝ち取った当時のボカで試合に出場していたはずの選手名を口にすると、男は目を丸くしながら叫び始めました。
「アンタ、なんでそんなにボカのことを知ってるんだ!日本人がそんなにボカに詳しいなんてどういうことなんだ!」
「ボカは日本でも有名だしファンも多い。何より高原が一時期ボカでプレーしていたでしょ。日本人にとってはリーベルよりもボカのほうが親近感が湧くんだよ」
よくもまあ、口からスラスラとこんなデマカセが出てくるものだと自分でも感心します。
日本でボカファンのほうがリーベルファンより多いかどうかなんて僕は正確な数字を調べたことはありませんし、実際どうなのかもわかりません。
ただ、ボンボネーラの目の前で客もいないのに客待ちのフリをしながらボカのユニフォームを着てタバコを吸っているような男がボカファンでないはずはありませんでした。
そんな彼にリーベルのファンも日本には多いなんて、口が裂けても言わないほうが賢明ですし、おとなしくボカを持ち上げることを言っておいたほうが後々メリットがあるのではないか、と僕は直感的に思ったのです。
「その通りだ!リーベルなんて見に行く必要ない!ここにサッカーがあるんだよ!ここだ!」
もはやフィルター部分しか残っておらず、決して良いとは言えない微妙な匂いを撒き散らし始めているタバコを離そうともせず、男は僕に掴みかからんばかりの迫力で叫んでいます。
「そうだね、ボカは素晴らしいクラブだよ」と相槌を打ちながら、僕はいつ本題に入れるのだろうかとスキをうかがっていました。
「で、アンタ明日はどうするって?」
唐突に男は本題に話を戻しました。
そう。
ここからが本番です。
「明日ねえ・・・。実はさっきタキージャ(チケット売り場のこと)に行ったんだけど・・・」
「ソシオ向けで完売。一般販売はなし!そうだな?」
僕が話そうとした語尾を奪い取ってそういうと、男は唐突に
「乗れ!」
と自らが運転しているのであろう黄色と黒のツートンカラーに塗られたタクシーの後部ドアを開け、タバコを道端に投げ捨てながら僕に言いました。
「は?」
と僕が言うと、彼は「いいから乗れ。話は車の中でしよう」と言うやいなや、僕が返事をするよりも先に車のエンジンをかけてしまったのでした。
見たところ普通のタクシーですし、もはや返事を待つ気もない様子で男はすでにどこかへ電話をかけ始めています。
「そうだ。あぁ?違う!中国じゃない!日本だ!日本人だ!」とかなんとか電話の向こうに怒鳴り散らしながら、僕が後部座席に乗り込みドアを閉めるやいなや、タクシーは勢いよく発進しました。
左手にスマホを持ちながら右手でハンドルとマニュアルのギアをいじるこの器用さはどこから来るのだろう、と若干ズレたことを考えながら、僕は男の運転するタクシーに乗ってその場を去ることになったのです。
そして数分後、男は赤信号でもなければ停車中でもないのにいきなりぐるりとこちらに振り向き、おもむろに自己紹介をはじめました。
「旦那、俺の名前はミゲルだ。M・I・G・U・E・L。覚えたか?」
「ミゲルね。わかったよミゲル。わかったから前を向いて運転してくれ」
ブエノスアイレスに初夏の陽光が降り注ぐ中、ミゲルの運転するタクシーは赤信号を無視して交差点に突入し、派手にクラクションを鳴らされながら、どこか僕の知らない場所へ爆走していきます。
社会人になってそろそろ10年。
スペイン留学から帰国し12年ほどが経とうという年に経験するこの久々で意味不明な会話と行動の連続に、僕は自分でも不思議なほどワクワクし全身の毛穴が開くような興奮を覚え始めていたのでした。
第1話はこちら
つづく