プレシーズンマッチで実戦デビューした久保建英
レアル・マドリーの日本代表FW久保建英は、プレシーズンマッチとして開催されているインターナショナルチャンピオンズカップのバイエルン・ミュンヘン戦で後半から出場。レアル・マドリーの一員として実戦デビューを飾りました。
スペイン最大のスポーツ紙MARCAは久保が出場したバイエルン戦とは別に、「”クビスモ”の誕生。レアル・マドリーでタケが世界に衝撃を与えた」という記事を掲載しています。
MARCAは
ヒューストンで行われたプレシーズン最初の試合を受けて、ジダンは真剣に検討すべき一つの素材を手にすることになっている。
と久保のプレーがジダンの予想、あるいは期待を上回るものであり、久保のプレーはもしかするとトップチームで十分に通用するものではないかと示唆する文脈で報じています。
またMARCAは久保のデビュー戦における堂々としたプレーぶりについても、
”内気”という言葉は彼にとって無縁のものであるということを、久保は自身のプレーで見事に示し、そして証明してみせた。
後半に久保自身が示したプレーのクオリティは、マドリーにおいて当初考えられていた「セグンダBのカスティージャでプレーさせる」というプランが、本当に正しい方針なのかどうかについて疑問を呈させるに足る十分なものだった。
と絶賛に近い表現で報じています。
「KUBISMO=クビスモ」という造語を作り出したMARCA
さらにMARCAは日本で朝10時からバイエルン戦をDAZNが中継するほどの注目を久保が集めていることを「クビスモが沸き起こっている」と表現。
「クビスモ」とは「クボ」に「〜イズム」のスペイン語にあたる「〜イスモ」を掛け合わせ、MARCAがクボに対する熱狂的雰囲気を表すために作り出した造語です。
MARCAは「もはやクビスモは日本だけのものではなく、今や世界中に広がり始めた」と紹介。バイエルン戦でのプレー内容が世界中に驚きと衝撃をもって迎えられ、なおかつ久保のプレーがバイエルンに通用していたこと、そしてレアル・マドリーでプレーすることに早くも適応しつつあることを報じ、
あまり自分のことを多く語られることは好ましくは思いません。僕自身について日本で報じられていることや、大きな注目を集めていることは自覚していますが、騒ぎすぎなのではないかと僕は思っています。
という久保のコメントを引用しながら、こういったコメントをできるということがジネディーヌ・ジダン監督の好感を呼んでいると指摘。
非常に成熟した少年だし、もう何年も我々とともに過ごしているかのような錯覚すら覚える。
というジダン本人のコメントを紹介することで、暗にジダンが久保について一定以上の評価をしていると示唆しています。
もともとジダンは監督として規律と選手・人間としての誠実さを重んじていると言われており、例えばコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスがジダンに冷遇され放出されたのは、クリスティアーノ・ロナウドに影響され「まだその時期ではない」状態の時にスーパースター然とした傲慢とも見られがちな行動を取るようになってしまったことが大きく影響している、とハメスの母国コロンビア国内でも報じられています。
FC東京、横浜Fマリノス時代のコメントや努力からも分かる通り、久保は非常に賢い青年であり選手で、謙虚さと努力を怠らない姿勢を内外に示してきました。
Jリーグでの試合後のコメントなどにも浮ついたところは見られず、冷静に周囲と自分のプレーを比較し自己評価を下せる観察眼も兼ね備えていると言えます。
恐らくジダンにとってはこういった久保の謙虚な姿勢は好ましいものであり、練習中からも周囲とコミュニケーションを取り自分自身を成長させるために努力を怠らない様子を観察しているのだろうと推測できます。
MARCAにしては珍しい久保についての報じ方
MARCAがここまで18歳の若手選手にフォーカスした記事を掲載するのは珍しく、しかも久保がこの1年間で歩んできた道のりも詳細に報じています。久保がフリオ・サリーナスやシャビエル・アスカルゴルタといったスペインでも馴染みの深い選手・監督が在籍した横浜でプレーした経験を持つことも多少は影響しているのかもしれませんが(事実MARCAは記事中でそのことについて言及しています)、レアル・マドリーによる久保獲得を報じたことから始まるこれまでの報道姿勢には、これまでのMARCAによる「注目の若手選手」扱いとは一線を画したものを感じざるを得ません。
確かに過去何人もMARCAが注目選手として記事にしてきた選手達は数限りなくいましたが、日本人選手でここまでの扱いをされた選手は皆無です。
18歳という年齢や、プレースタイルがバルサのリオネル・メッシに酷似しており「日本のメッシ」と紹介されてきたこと、そしてまさにバルサに復帰すると思われていた久保がレアル・マドリーのオファーに応える形でマドリーのユニフォームに袖を通すことを選んだ、とうストーリー性が注目に値することは事実です。
しかしその一方でバイエルン相手に見せた堂々たるプレーぶりは、単に「アジアのメッシ」「日本のメッシ」という文脈以外の何かを示し始めていることも事実であり、実際にMARCAもこの記事中ではこれまで様々な媒体で使われてきた「El Msssi japonés=日本のメッシ」という言葉を一度も使っていません。
全て「タケ」「久保」という本人そのものを表す言葉を用いて久保のことを表現しており、これは少なくともこの記事を執筆したミゲル・アンヘル・ララ記者はすでに久保のことを「1選手」久保建英として正面から見据えていることを表していると言っていいでしょう。
「同じ単語、同じ言葉の繰り返しを嫌う」というスペイン語の文法特性の中では「この日本人選手は」だとか「”日本のメッシ”とも言われる若者は」というような表現が使われてもおかしくないのですが、この記事の中では久保に対してイロモノ扱いをするような比喩表現が一切使われていないこともその根拠として挙げられると考えられます。
果たして本当にレアル・マドリーの首脳陣が久保をトップチームで今後も試すことを検討しているのか、カスティージャではなくプリメーラやセグンダAの他クラブへレンタルさせることで悩んでいるのかについての真偽はわかりません。
しかし、少なくとも日本以外ではスペイン、アメリカ、中南米においてこのバイエルン戦を目にしたファンの多くは、久保はこのままレアル・マドリーでやっていけるはずだとほぼ確信に近いものを持ったことでしょうし、恐らく久保本人もそういった感触を確かに得たのではないでしょうか。
芸人ではありませんが「名前だけでも覚えて帰ってくださいね」とでもいうようなプレーを見せた久保が、この先どこまでアピールを続けられるのか。
開幕までこの楽しみが続くことを僕は願っています。