【コパ・アメリカ】ブラジル−アルゼンチン戦に見る南米での「ホーム」とは

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コパ・アメリカ2019、ブラジルが決勝進出

コパ・アメリカ2019 ブラジル 準決勝
エスタジオ・ミネイロン@ベロ・オリゾンチ
ブラジル 2−0 アルゼンチン
19分:ガブリエウ・ジェズズ
71分:ロベルト・フィルミーノ
得点者

現地時間7月2日午後21時30分に行われたコパ・アメリカ2019準決勝ブラジル対アルゼンチンの一戦は、ブラジルが2−0でアルゼンチンを破り決勝進出を決めました。

試合経過などは専門家の分析記事を読んだほうが的確でしょうからこの記事では書かないことにします。

いずれにしても、今回もまたリオネル・メッシは国際タイトルを取ることができませんでした。

VARが全く適用されなかったアルゼンチン

「VARに時間を取りすぎていて試合が切れてしまう」

南米のテレビ、ラジオ、新聞などの各種メディアはこぞって同じセリフを口にし、今回のコパ・アメリカから正式に導入されたビデオ・アシスタント・レフェリー、通称「VAR」に対して否定的な見解を述べるケースが目立ちます。

ブラジル対アルゼンチンの準決勝では後半2点を追うアルゼンチンがペナルティエリア内でニコラス・オタメンディが顔にエルボーを喰らい、セルヒオ・アグエロがペナルティエリアでのドリブル突破時に足をかけられて倒れても笛が吹かれず、VARによるチェックは行われませんでした。

チェックが行われなかっただけではなく、主審へのVAR勧告もなく、選手やベンチから度重なるVARの要求があっても主審は全く聞く耳を持とうとしていませんでした。

コロンビアの最大全国紙El Tiempoはダニアウ・アウヴェスのコメントして「足がかかっていたからファウルを取られればPKだっただろう」というコメントを紹介しながらも、いくつかの写真を掲載し「ファウルではなかったのではないか」とも述べており、見解は様々なようです。

「もしあの2つのプレーでVARが適用されていたらPK戦になっていて、結果は違うものだったのでは?」

ということが言いたいわけではありません。

そして「なぜあの場面でVARが適用されなかったのか」という点については、専門誌や分析に優れた記者の方達が様々な観点から見解を述べられると思いますし、このブログはそもそも戦術や試合分析のブログではないです。

「今大会」でVARが適用されてきたそもそもの背景とは

2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会からFIFA参加の国際大会でも正式に導入されたVAR。

個人的にはワールドカップでのVAR運用はそれなりの正当性と公平性が保たれていたのではないかと思ってはいたのですが、正直な話としてはコパ・アメリカで適切に運用されるのかどうか(周囲の反応も含めて)という点に関しては、ほぼ確信めいた意味で「無理だろう」と思いながら見ていました。

グループリーグ〜準々決勝までの試合で幾度もゴールが取り消され、ファウルが判定され、時には退場者が出る事態になっていたわけですが、確かに結果そのものを「VARでよく見れば」その通りだなとも思えるものではありつつ、僕個人の感覚としては「果たしてそこまで見る必要性があったのかどうか」とも思っています。

とはいえ、結局この手の話になった時に南米での生活をある程度経験しているサッカーファン(国籍問わず)が口をそろえて言うのは、

「まあ、南米だしね。仕方ないね」

というセリフです。

南米に住み7年が経過しようとしている僕にとって、この「まあ、南米だしね」という言葉ほど便利なものはありません。

なぜか?

大抵のことはこの一言で片付きますし、むしろこの一言で片付けていないとやっていられないからです。

ブラジルとアルゼンチンという2カ国は隣国同士でサッカーの世界において激しいライバル関係にあることはよく知られていますし、事実ブラジル対アルゼンチンという試合は南米の他国でも注目される人気カードです。

政治、経済、スポーツ、文化、あらゆる面で強烈な対抗意識を燃やす2カ国の対戦ではしばしばプレーの面でも判定の面でも物議を醸す事態が発生します。

今回のコパ・アメリカではたまたまブラジルが開催国であるためにブラジルにとって都合のいいことが「なぜか」起こりましたが、恐らくこれがアルゼンチンで開催された大会であれば結果は逆になっただろうと僕はほぼ確信めいた思いを抱いています。

例えば前々回2015年チリ大会のことを思い出してみましょう。

確かに2015年大会のチリはいいチームでした。アレクシス・サンチェスもアルトゥーロ・ビダルも好調で、アルゼンチン人監督ホルヘ・サンパオリに率いられたチームはホームでの開催という地の利を最大限に活かして「地元での初優勝」という栄誉を勝ち取りました。

しかし正直言って、優勝に至るまでの道のりが「何ごともなく順調に」いったわけではありませんでした。

2015年のチリ大会開催当時、ちょうど僕はチリの首都サンティアゴにいました。

地元のチリが勝ち進むたびにチリ人達は大喜びしていましたが、その一方でビダルは大会期間中に妻と真夜中にカジノにでかけ、飲酒運転をした挙げ句に他車一台を巻き込む大事故を起こしています。

それだけならまだしてもビダルは完全に開き直って居直り状態。

チリの地元警察はそのまま逮捕を主張していましたが、結局ほぼお咎め無しの状態で何ごともなかったかのように次の試合に出場しました。チリ協会からもCONMEBOLからも処分はありませんでした。

果たしてこの事故をアルゼンチン代表のリオネル・メッシが起こしていたらどうだったでしょうか?

恐らくアルゼンチンサッカー連盟はメッシを養護したかもしれませんが、チリ地元メディアはここぞとばかりにメッシとアルゼンチン代表を糾弾し、なんとかしてメッシを出場停止処分にするようCONMEBOLに働きかけたでしょう。

つまるところ、チリとしては地元での開催は初優勝を飾るためにまたとない絶好のチャンスであり、そのためには法律すら無視して自分達が少しでも不利になる状況を排除したということになるわけです。

大会を通じて好プレーも多かったチリですが、反面なかなかに汚いファウルも多く、その度に対戦相手は激怒し記者会見は毎試合荒れ気味でした。

今回のブラジル対アルゼンチン戦で見られたオタメンディとアグエロに対する「PK見逃し」とも取れるような場面ではどんな意思が働いていたのでしょうか。

恐らくはエクアドル人のロディ・サンブラーノ主審も含めた審判チームの中にはこんな思いがあったのではないでしょうか。

「余計なことをしないでおとなしく家に帰りたい」

ブラジルホームの公式大会でアルゼンチン戦の笛を吹き、自分のジャッジが原因でブラジルが負けるなどということがあれば、帰り道に何が起きたとしても誰も守ってくれません。

ヨーロッパでは長年のアンチバイオレンスキャンペーンの結果、昔よりは審判に対するファンからの過度なプレッシャーや脅迫じみた行為はかなり減りましたが(無くなってはいません)、南米ではごくごく当たり前の光景として今でも審判に対する強硬な姿勢はよく見られます。

2010年の南アフリカ・ワールドカップ、オランダ対ブラジルでフェリペ・メロにレッドカードを提示した日本の西村主審のことを、2014年になってもブラジルのファンはまだ覚えており、クロアチアとの開幕戦でフレッジに対するファウルを宣告してブラジルにPKを与えた際にはテレビの実況が「やっとニシムラがブラジルに対する謝罪をした」とまで言い切りました。

2010年のフェリペ・メロのファウルとレッドカードは今見てもそこまで不当な判定とも思えません。

ワールドカップやEURO、コパ・アメリカのような国際大会ごとに改定されるルール解釈に則って判定された2014年ワールドカップ開幕戦でのブラジルに与えられたPKは、確かにフレッジの方にDFの手がかかっており「ペナルティエリア内で手を使ったボディコンタクトはファウルとされ攻撃側にPKが与えられる」という新解釈通りの判定だったはずです。

つまりブラジルに対する謝罪の意味などはまったくなく、西村主審は単にルールに則ったジャッジを下したに過ぎません。

それでもそのことを「自分達に対する謝罪」だと言い切れるような精神性が、南米にはまだまだ溢れかえっているということがこういった事例からもわかります。

西村主審は日本人ですから大会が終われば日本に帰国し、よほどのことがなければ南米で笛を吹く機会はそう何度も訪れないでしょうが、ロディ・サンブラーノ主審はエクアドル人であり、今後ワールドカップ南米予選で再びブラジルに降り立ち笛を吹くこともありえます。

無事に自宅に帰るためには「地元を刺激しないで黙っていたほうがいい」と考えるのが当たり前だ、というのが南米在住経験の長い僕たちの出せる唯一の結論なのです。

端的に言うと、別に「ブラジルに対する便宜を要求された」とか、「買収された」とかそういう話ではなく、審判チームの個人的な都合によるものである可能性も高い、ということです。

「では逆にアルゼンチンで笛を吹くことになったらどうするのか」

と普通なら思うかもしれません。

100%そうだとはもちろん言い切れませんし本人たちは絶対に否定することもわかっている上で敢えて書きますが、

「そんな先のことを見越した行動など彼らには取れない」

というのが僕の考えです。

今のこの瞬間を無事に過ごせれば彼らにとってはそれでいいのです。

仮に今回の判定がきっかけでアルゼンチン人から糾弾されたとしても、「ブラジルで笛を吹いてあの状況で余計なことができるわけがないだろう」としか彼らは思わないでしょうし、もしかしたら堂々とそう言い訳するかもしれません。

日本人としては常識的に考えられないことですが、はっきり言って僕たちの常識は彼らには全く通用しません。

考え方、ものの見方、判断基準全てが異次元の別世界としか思えないようなものだからです。

そしてそんな世界で生きている者同士である彼らですから、それがおかしいことだとは微塵も思っていません。

南米の判断基準や慣例の中で暮らしながら生きている僕らも含めた人間たちにとって、こんなことは「よくあること」でありなおかつ「今後もありうること」でしかないのです。

よく「ホームアドバンテージ」という言葉が使われることがありますが、恐らく実際の背景はそんな単純な一言で片付けられるものではないでしょう。少なくとも南米におけるそれは、日本人には理解不可能な次元の概念になっていると言っていいと思います。

「ホームだから」「アウェーだから」という単純な二元論ではなく、もっと複雑で様々な事情や背景が折り重なり絡み合い、ほつれ合いながら生まれているのものが南米における「ホームアドバンテージ」というものになっていると僕は考えるのです。

その意味で、アルゼンチンが何とか勝ち上がったにも関わらず準決勝でブラジルと当たったことは運が悪かったとしか言いようがありません。

相手がペルーやチリだったら、もしかしたらオタメンディとアグエロに対するプレーはそのままPKになった可能性すらあると僕は思います。

ジャッジする側の主審にしてみれば、今そこでアルゼンチンが勝とうがペルーが勝とうがチリが勝とうが、自分の身に危険はないからです。少なくとも「その時点では」。

だから僕は、「VARがどうこう」という問題ではなく、ブラジル対アルゼンチン戦でVARが適用されてもおかしくなかったあの2つの場面の決定的な原因は、主審も含めた南米サッカー全体の「事情」にあると考えます。

ただし繰り返し言いますが、僕は決してそれが「問題だ」と言いたいわけではありません。

ただの外国人である僕は面白おかしくその「事情」を語ることはできますが、問題にしたところで僕が解決しなければならないようなことではないからです。

南米で生まれ南米で生きている人達がもし仮に「問題だ」と思うのであれば、それは彼らが解決し答えを出す事柄だと僕は思っています。

なぜならここは南米ですし、

南米だし、仕方ない」からです。

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