海外で暮らすために必要なこと
海外で暮らしたり仕事をする上で最も重要なことは何かと聞かれたら、僕は迷わず「語学力」だと答えます。
最近ではあまり目にすることはなくなりましたが、1993年のJリーグ開幕からしばらくの間、何人かの外国人選手が活躍していたにも関わらず「家族の事情」や「ホームシック」などを理由に退団し母国に帰ってしまったことがありました。
当時の日本ではサッカーファンの間で「プロとしてどうなの?」とか「情けない」というような趣旨の発言が飛び交うこともあり、正直なところ僕自身も同様の感想を持っていたことは事実です。
ところが、です。
1998年から大学でスペイン語を勉強し始め、1999年に本留学に向けた短期留学でスペイン人の家庭にホームステイした瞬間に、僕は上記の考えを強制的に改めざるを得なくなりました。
一度想像してみて欲しいのですが、例えば今あなたは喉が渇いているとします。それも猛烈に。
氷が詰まったコップに注がれる冷えた水だとか、あるいはキンキンに冷えたビールなんかがたまらなく飲みたいとしましょう。
日本人である僕たちは、それらが欲しい時に何不自由なく手に入れることができるはずです。
仮に自宅になかったとしても、徒歩か自転車で数分も外に出ればコンビニでいとも簡単に手に入れることができるものです。
よほどのことがなければ財布に500円も入っていないなどということはないはずですし、どこに行けば何がどのぐらいの値段で手に入るのか、僕たちは考えることもなく認識できています。
ところが外国人はそうではありません。
元々日本が好きで日本に来たくて、日本語もある程度勉強している人は別ですが、そうではない人も大勢いるのが事実です。
仕事の都合で今まで縁も所縁もなかった日本に突然来ることになって家族もいない。簡単な言葉は同僚や関係者に教えてもらったが、手元にある硬貨や紙幣がどの程度の価値を持つものなのかもよくわからない。
それでも人間ですから喉も渇きますしお腹も空きます。
そんなとき。
ホットドッグが食べたいのに「ホットドッグ」を日本語でなんと言えばいいのか知らなかったら?
キンキンに冷えたビールが飲みたくてたまらないのに「よく冷えた」という日本語がわからないために常温のビールを出されたらどうしようと不安になったら?
「そんなことで?w」と思う人もいるかもしれませんが、これってわからないとものすごいストレスです。
こういうストレスを日々絶え間なく感じながら暮らしたり仕事をするというのは本当に辛くて厳しいものです。だからこそある一定の語学力というのは海外で暮らす上で必要不可欠なものだと僕は考えています。
仕事も含めた日常生活の中で意思疎通がそもそもできないことほどストレスが溜まることはありません。そしてそれは本人だけではなく相手にとってもです。
こちらの言いたいことが伝わらなければ相手はこちらを理解できません。
こちらを理解してもらわなければ相手は足りない部分を想像で補うしかなく、その想像が的はずれだった場合は勘違いされることに繋がります。
勘違いを解消することができなければ相手の勘違いはそのまま残り、いつしかそれが「その人にとっての事実」として定着し、知らない間に「勝手な勘違いに基づいた事実」があなた自身だと周りに思われるようになってしまうのです。
サッカー選手に置き換えてみましょう。
「足元でボールがもらえればもっとスペースを上手く使える」
「右足でトラップした時に走り出していてくれればすぐにスルーパスが出せる」
「ハイボールよりもニア側に低いクロスを入れてくれたほうが合わせるのが得意」
どれも伝えることができないとしたらどうなるでしょうか?
プロのハイレベルな試合展開の中で、ピッチの外から通訳ができることなどたかが知れています。
練習で意思疎通しておけばいいと言われても練習通りに展開するプレーなどあることのほうが稀でしょう。
そんな時に本人を助けてくれるのはたった一つしかありません。
それは「言葉」です。
言いたいことを、言いたい時に、言いたいように言える。
これだけで自分も相手も驚くほど楽になります。
スペインのクラブに過去から現在までにかけて所属し、最もスペイン語の語学力で優れているのはレアル・マドリーに移籍したばかりの久保建英であることは間違いないでしょう。
久保建英のスペイン語のレベルとは
そしてこのことが、久保がスペインで一定レベル以上の結果を残せると確信めいた思いを僕が抱く理由でもあります。
次の2つの動画を見比べてみましょう。
1つ目は彼が11歳か12歳頃の動画。
2つ目はつい最近の動画です。
この2つの動画の中で、彼は自分の言いたいことを恐らくほぼ100%話せていると僕は思っています。少し考えながらもほぼよどみなく受け答えし、「あ〜」とか「え〜」とか詰まることもなくスラスラと話しています。頭の中で言いたいことがまとまっていて、なおかつそれをいちいち自分の中で翻訳し直すことなく自然に口をついてスペイン語が出てきていることの現れです。
スペイン語を学習したことがない方には彼の話すスペイン語がどの程度のレベルにあるのかが想像できないと思いますが、恐らく流暢に話していることは感じられるのではないでしょうか。
久保のスペイン語の言葉の使い方は、日本で例えるなら呂比須ワグナーやラモス瑠偉に近いレベルですし、日本語でインタビューに答える久保の話し方や言葉の使い方がそのままスペイン語になっただけだと思ってもらえれば想像しやすいのではないでしょうか。
意識しているかどうかはともかく恐らく久保の場合、メカニズムとしては日本語で考えていることは同時にスペイン語でも考えられている状態だと思います。
ということは、一瞬ごとに状況が変わるサッカーというスポーツの試合中に「右にパスは・・・」と日本語から変換するような時間は彼には必要ないですし、恐らくファウルを受けて怒りを表すときにも考える前に言葉が出てくるでしょう。余計な一言を叫んでイエロカードを受けないように言葉を選んで抗議することすらできるはずです。
僕はこれまでスペインでプレーした日本人選手で、ここまでスペイン語を完璧に操ることができた選手を見たことがありません。
スペインでプレーした日本人選手達が直面した問題とは
この20年間でスペインのプリメーラ・ディビシオンでは城彰二、西澤明訓、大久保嘉人、家長昭博、中村俊輔、乾貴士、柴崎岳がプレーしてきました。
彼らのうち、スペイン国内の他クラブから求められるほどの活躍をできた選手は乾貴士と柴崎岳の2名だけです。
では乾と柴崎は他の選手たちと比較してスペイン語力が飛び抜けて高いのでしょうか?
恐らくそうではないでしょう。
乾貴士の場合
しかし少なくとも、乾貴士に関して言えばごくごく簡単な日常会話はこなせる程度にはスペイン語を身につけていることが伺い知れる動画が複数確認できますし、試合中の口の動きを見てもある一定の意思疎通ができていることはわかります。
柴崎は元来寡黙な性格のようですし、試合中もさほど口を開くタイプでもないようですが、周囲を理解する能力がとても高い選手であるために必要以上のコミュニケーションを取ることなく効果的なプレーができるおかげで、プレー面で一定以上の評価を受け2019−2020シーズンに向けてデポルティーボに移籍できたのだろうと僕は考えています。
それに加えて乾の場合はエイバル時代のホセ・ルイス・メンディリバル監督が、比較的人間的な懐の深さがあり、優れた観察眼を持つと言われることが多いバスク人だったことが好影響だったはずです。
このあたりの縁というのは意外と馬鹿にできないもので、サッカー選手と個人、指導者と選手という関係性以外にも人間・乾貴士を見てくれる人物であるはずのメンディリバルと出会ったことは乾にとって非常に幸運だっただろうと僕は思います。
他の選手達はどうだったのか
では例えば乾貴士、柴崎岳と比較した場合、それ以前にプレーしていた城彰二、西澤明訓、大久保嘉人、家長昭博、中村俊輔はプレーの面で乾と柴崎に劣っていたということなのでしょうか?
そうではないでしょう。
少し深掘りしてみます。
城彰二がバジャドリーに在籍した1999−2000シーズンの監督はグレゴリオ・マンサーノ。
西澤明訓がエスパニョールに在籍した2000−2001シーズンの監督はパコ・フローレス。
大久保嘉人がマジョルカに在籍した2004年から2006年の監督はエクトル・クーペルとグレゴリオ・マンサーノ。
家長昭博がマジョルカに在籍した2011年から2014年の監督はホアキン・カパロスとグレゴリオ・マンサーノ。
中村俊輔がエスパニョールに在籍した2009年の監督はマウリシオ・ポチェティーノ。
当時の状況を振り返ってみると、正直に言ってどのクラブも軒並み「余裕」の無いクラブです。基本的には2000年代の頭には中位をウロウロしていたクラブで、どの監督も漏れなく「限られた戦力で最大限の成果を出す」ということを求められていました。
そしてその目的のために各クラブは目的を実現するために必要な理論と力を持った監督を据えることで、その目的を果たそうとしていたわけです。
興味深いのは5名の選手のうち3名がグレゴリオ・マンサーノと関係しているということでしょう。
グレゴリオ・マンサーノはその風貌から「El Profesor=教授」と呼ばれることもあったほど、実際に理論と戦術面で優れた能力を発揮する監督でした。
これが何を意味するのか?
端的に言えば、マンサーノの言うことを理解できなければ試合では使ってもらえないということに直結します。
では城彰二は一切一言もスペイン語を理解できていなかったのでしょうか?
そうは思いません。少なくとも中華料理屋でチャーハンを頼めるぐらいのスペイン語力はあった、と僕はバジャドリーの中華料理屋で店を切り盛りする双子の兄弟から直接聞いたことがありますし、メディアの質問にも答えている様子を2000年3月に見たことがあります。
そして僕は城のことをいいFWだと思っていました。少なくとも、当時バジャドリーにいたカミネロやビクトルと組ませれば面白いプレーができるのではないかと思うぐらいには。
ですから、確かに当時からリーガ・エスパニョーラのレベルが高かったとは言ってもチャンスはあるだろうし、もしかしたらゴールをあげ続けて契約延長を勝ち取ることも夢ではないと思っていたのです。
しかし当時買ったMARCAでたまたま見つけた城の話題は、「彼のお気に入りのスペイン語は“TIRA”だ」というものでした。
「TIRA」とは「シュートする」という意味でも使われる「Tirar」という動詞が活用した命令形の単語で、つまり「シュート打て」という意味です。
どうも練習中からしょっちゅうこの単語を言われることが多かったようで、それは試合中にも「フリーだから打てる」という意味で言われることもあるでしょうから別にいいのですが、それを本当に「好きな単語」だと思うのだとしたら意味がわかっていないということになるわけです。
このレベルのスペイン語力で哲学的で抽象的な物の言い方をすることも多いグレゴリオ・マンサーノの難解なスペイン語の指示が理解できるとは思えません。
西澤がエスパニョールに移籍した際の指揮官だったパコ・フローレスにしても、そもそも「頭が固い」とスペイン国内で揶揄されることも多いカタルーニャ人であることに加え、メディア各社からは「パコ・フローレスはパコ・フローレスであって、それ以外の何者にもなりえない」と茶化されるほど頑固で有名な監督でした。
練習中からよく喋ることでコミュニケーションを取って相互理解を深めることの多いスペインで、無口で知られる西澤がどう思われしまったのかはたやすく想像できます。
ヨーロッパであれだけの実績を残していた中村俊輔にしても、マウリシオ・ポチェティーノが「彼の適応力に問題があったから使わなかった」と言われてしまった始末。適応力が具体的に何を指しているのかまでは当時ポチェティーノは公には言及しませんでしたが、言葉の面の意味のことを含んだ発言であったことは想像に難くありません。
それぞれ僕が見聞きしたエピソードを上げていくとキリがなくなりますが、つまりこれまでスペインでプレーした日本人選手たちが、せめて練習中に冗談が言えたり、言えないまでも言えるような素振りを見せたりする語学とコミュニケーションに対する姿勢があれば、実力的にはもっと活躍できたはずだと僕は思っているのです。
スペインにおいて「お喋りであること」の重要性
スペインで草サッカーをやっていた時、たいして上手くもないのに試合中やたらと喋り続ける男がいました。
ところがパスは全部彼に渡るのです。
なぜかと思ってある時彼が何を言っているのかよく聞いてみると、彼はずっと「自分がどこのポジションにいて、どこに動くのか」「どんなパスをくれれば自分がどう動けるのか」を延々と仲間に教えていたのでした。
それ故にチームメイトは彼を視認しなくても感覚で「この辺ならあいつだろう」とボールを蹴っても彼にパスが渡ることになっていたのです。
スペイン人はとにかくよく喋ります。練習中も試合中もよく見ていると延々と誰かと話しています。それが相互確認でもあり、チーム内の重要なコミュニケーションになっているのです。
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」と言いますが、仲間のことをお互いにわかり合えば集団として強くなるのは自然なことですし、反対に仲間のことがわからなければ一緒に戦うことはできないということになるのです。
こういった意味で、久保建英はレアル・マドリーのプレシーズンキャンプに参加して以降に見せるエデン・アザールとのコミュニケーションや、公式メディアへのスペイン語での受け答えを見ているだけで、「互いを知り合う」という最もシンプルでスペインにおいては最も重要なハードルをすでに超えていることがわかります。
もちろんそうだとしても最後に物を言うのは選手としてのプレーの質になるわけですが、質が高くても0−1で負けている緊迫した状態の89分に、言葉の通じない選手を投入しようと思う監督がいるでしょうか?
確かに久保はBチームであるレアル・マドリー・カスティージャで登録され最初のシーズンを過ごすことになると言われています。
しかしリーグ戦でのチャンスがすぐに来なくても、例えばコパ・デル・レイへの帯同などは可能性があると考えることもできますし、怪我人も含めて何が起こるのかは誰にもわかりません。
何も誰も断言できない世界であるからこそ、すでに語学の面で「準備ができている」久保には大きな可能性があると僕は考えるのです。