ラ・プラタ河のほとりで語るアべ【シャ】ネーダ
彼の名前はビクトル。
スペイン語圏ではよくある名前です。
50代に差し掛かろうかという年齢で、図体はでかく顔もいかついビクトルは、風貌とは裏腹に物静かで職人のような雰囲気を醸し出している男でした。
ビクトルと知り合ったのは2012年。今からちょうど5年前のことです。
当時仕事でよくアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスに行くことが多く、提携先企業の担当者として一緒に動くようになったうちの1人がビクトルでした。
挨拶をしても「ああ」としか言わない。
彼が運転する移動の車中では小さな音量でひっそりとタンゴをかけているものの、盛り上がる場面で他のアルゼンチン人のように体を揺らしてリズムを取るようなこともありませんでした。
朝待ち合わせてビクトルが乗ってくる10年落ちプジョーのハッチバックモデルに乗り込み、身を縮めるようにして運転席に収まる巨体のビクトルの横で、僕がちんまり助手席に収まるというさながら凸凹コンビのような様相で取引先を回る日々。
取引先がにこやかに応対してくるのに対して僕がスペイン語で受け答えすると、「カステ”シャー”ノを話す日本人なんて初めてだよ!」と喜んでくれる取引先を横目に、ビクトルはいつも無表情なままで事務的な商談を続けるばかりでした。
標準共通スペイン語のことをスペイン語で「カステジャーノ」と言いますが、アルゼンチンは「ジャ行」や「チャ行」の発音を全て「シャ行」で発音する訛りがあります。
もっとスペイン語的に説明すると「CH」「LL」「YA」などの発音が全て「シャ」に変わってしまうということになります。
これはスペイン語を話している時に限らず英語を話しているときもそうで、「ジャパン」と言いたいときも「シャパン」と言ってしまうため、英語しか話せない人がアルゼンチン人と話すときは聞き取るのが特に困るようでした(※海外留学経験のあるアルゼンチン人は英語の発音は矯正できている人が多いみたいです)。
そんなわけで、ビクトルも含めてアルゼンチンの誰も彼もが僕のことを「チェマ」ではなく「シェマ」と呼んでいたわけですが、ある時ブエノス・アイレス郊外のアベジャネーダにビクトルとでかけた時のこと。
ちょうどその週末にボンボネーラでボカ対ラシンの試合があることがわかっていました。
前年までは元アルゼンチン代表MFのディエゴ・シメオネが監督を務めていたのですが、すでにシメオネはチームを去り、2012年の段階ではルイス・スベルディアが指揮をとっていましたが僕は彼のことを知らなかったのです。
南米において最も盛んなスポーツがサッカーであることは世界中で知られている事実ですが、だからといって100%全ての人間がサッカー好きかというと、実はそういうわけでもありません。
例えばアルゼンチンはラグビーも盛んで人気も高く、ラグビーの代表チームが出場する試合も非常に人気があります。
僕はビクトルの巨体を見ていて、実は密かに「こいつはサッカーよりもラグビー向きだな」と勝手に想像していたのでした。
とはいえ、試合のチケットを手に入れるためには一般的に何が必要なのかぐらいのことは知っているだろうと思い、僕はビクトルに何の気なしに尋ねてみることにしたのです。
「週末の試合を見に行きたいんだけど、チケットはどうやって買えるのか?」と。
ちょうどアベジャネーダからブエノス・アイレスに入る橋の上で僕はビクトルに話しかけたのですが、ビクトルはしばらく無言のままでした。
「やはりこいつはラグビー派だったか。気を悪くしたかもしれない」と思った僕は、「ごめん、サッカーが嫌いだったら興味ないよな。忘れてくれ」と言おうとしましたが、それを遮るようにしてビクトルは、
「シェマ・・・。腹は減ってないか?」
と尋ねてきました。
「え?ああ・・・、まあ確かにちょっと腹はへったかn」
と僕が言い終わらないうちに、またしてもビクトルは彼にとっては小さすぎる運転席に収まって両手でハンドルを握りしめ、前をじっと見据えたまま、
「そうだろう。ブエノス・アイレスに入ったらなにか食べながら話そう」
と言い、そしてそのままいつもの通り無口な男に戻ってしまったのでした。
橋を渡りやや治安が悪いと言われるエリアを抜けて市街地へ入ったあたりでビクトルはガタガタと揺れる10年落ちのプジョーを道端に止め、無言で車を降りると僕を近くの食堂に案内しました。
どうやらビクトルの行きつけの店らしく、店の奥でランチのピークタイムを終えたのかのんびりマテ茶のビンを咥えていたおじさんがこちらを一瞥し、「おう」と一言だけビクトルに話しかけると、ビクトルも「ああ」とだけ応えてテーブルについたのです。
こういうやり取りはスペインに住んでいた時に僕自身もやっていましたし、同じ光景を別の町で見たことは何度もありましたから別に何とも思わなかったのですが、1つだけ気になったのは店中に貼られた水色と白のあれやこれやでした。
コーヒーのシミなのかアルゼンチン名産のマルベック種赤ワインを誰かがぶちまけたのかはわかりませんが、白の部分に赤茶色のシミが出てきている、壁に大きく掲げられた旗には燦然とこう書いてありました。
「RACING=ラシン」
と。
僕がそれに気づいたことをビクトルが気づいたのかどうかはわかりませんが、僕が席につくとビクトルが口を開きました。
「それでシェマ、何を欲しいって?」
表情を変えないいつもの様子でビクトルが尋ねてきたので、僕は再度「週末のボカ対ラシンを観に行こうと思うんだけど、チケットの買い方を知らないんだが知らないか」と聞いた瞬間、ビクトルは別人になったのです。
「“ボカ対”ラシン?今、“ボカ対”ラシンだと言ったな?1つ正しておこう、今度の試合は“ラシン対”ボカだ、いいな?この試合はいつだって“ラシン対”ボカだ。たまたまボンボネーラでやるからってボカの名前を先に言うなんてあっちゃいけないぞシェマ」
マテ茶を飲んでいたおじさんは「また始まった」とかなんとか言いながら席も立たずに僕たちのほうを眺めています。
「あ、ああ・・・。わかった、“ラシン対”ボカね。ていうか、ビクトルがラシンファンとは知らなかったよ」
と僕は若干気圧されながらビクトルに言いました。
するとビクトルはわかればいい、というように何度かうなずくと落ち着いたようにあれこれと教えてくれたのです。
まず“ラシン対”ボカはアルゼンチンでも屈指の人気カードであること(これは僕も知っていました)。ボンボネーラの一般売チケットは人気カードだとほとんど数が出ないこと。その理由はソシオやアボナードにまず優先的に割り振られ、試合前日のギリギリまでソシオとアボナード向けに販売されるため、一般販売がされにくいということ。
そして次にビクトルが語ってくれたのは、ラシン・クルブ・デ・アベ“シャ”ネーダ(本当はアベジャネーダ、です)がどれほど誇り高く偉大なクラブであるのかということでした。
あとから調べたらいくつか甚だしい事実誤認もあったのですが、当然その話を聞いている時点で僕はそんなことを知る由もありません。
ビクトル曰く、
「ラシンはアルゼンチンで最も偉大なチャンピオンチームであり、アルゼンチンで最初にコパ・リベルタドーレスを勝ち取りインターコンチネンタルカップ(トヨタカップの前身)に出場。そもそもリーグ戦での偉大な7連覇はラシンしか成し遂げていない偉業であり、ボカやリーベルよりも伝統があるのだ」
ということらしいのですが、正直真偽のほどはわかりません。
ただ1つ言えるのは、ビクトルがラシンについて語るその様子は、僕がセルタについて語るのと同じテンションを持っており、ラシンについて語るビクトルの目が驚くほど輝いていたということです。
「ビクトルはよっぽどラシンが好きなんだなー」
と僕が言った後、呆れたような顔をしたビクトルは「好き?バカ言うんじゃない、ちょっと来い!」と僕を10年落ちのプジョーまで引っ張っていき、おもむろにハッチバックを開けました。
そこには「ブランキ・セレステ」と呼ばれるラシンの空色と白の縦縞ユニフォームが飾られており、ビクトルはそのユニフォームを誇らしげに掲げながら「ラシンこそがアルゼンチンだ。覚えとけよシェマ。リーベル?ボカ?奴らはクソだ!」と往来のど真ん中で叫んだのです。
ビクトルが誇らしげにラシンを語る時の顔は仕事中よりもいきいきしていて、それとよく似た表情を僕はスペインでも見たことがありました。
全員が全員サッカーを好きなわけではない。
それは確かに事実です。
しかし、サッカーが南米においてある一定以上の重要な価値を持つものだということを、僕はビクトルとの会話を通じて改て実感するこになったのでした。
ラシンを愛してやまないビクトル。
ビクトルが愛してやまないラシン
その相互関係のなんと幸せなことでしょうか。
僕はすっかり冷めてしまったコーヒーを眺めながら、ラシンについて語り続けるビクトルを見つめていたのでした。