デニス・スアレス本人がセルタからのオファーを認める発言
バルサからアーセナルへレンタル移籍していたスペイン人MFデニス・スアレスが、セルタ・デ・ビーゴからの正式なオファーがあったことを認める発言をしています。
FARO DE VIGOによるとデニス・スアレスは故郷サルセーダ・デ・カセーラスにて行われた本人主催のサッカー教室イベントの最中にメディアからの質問に答える形で、セルタに復帰することは「可能性がある」ことだと認め、「代理人を通じて正式に接触があった」と認めたということです。
デニス・スアレスの出身地であるサルセーダ・デ・カセーラスはビーゴから約30kmの場所にあり、ビーゴと同じガリシア州ポンテベドラ県の町。人口は約9000人で、ガリシア語を話す人口比率は住民の98%に達している町です。
デニス・スアレスのコメント
メディアから今後の去就について尋ねられたデニス・スアレスは
今後については数週間以内に結論を出すつもりでいます。僕の望みはプレーすることですから、そのためにバルサを去らなければならないのは明らかです。
いくつか移籍先の候補がありますが、何週間かのうちに僕自身が決めることになります。
セルタはもちろん移籍先の候補の1つですが、報道されているようにバレンシアからもオファーをもらっています。またセルタとバレンシア以外のクラブからもオファーが届いているのが現状です。
確かに欧州カップ戦でプレーできるかどうかというのは重要なことの1つではありますが、全ての可能性を検討する必要がありますし、セルタに戻ることになればいずれ欧州カップ戦でプレーすることも可能だろうと僕は考えています。
いずれにしても僕はいつかセルタに戻りたいと以前コメントしましたし、それがこの夏になるのかもう少し先になるのかはまだわかりませんが、少なくともセルタにいればプレーすることができるだろうと思っています。
セルタから接触とオファーが来ていることは事実ですし、他のクラブからも可能性を感じるオファーをもらっていますが、ともかく”その時”がくれば確実なことをお話できると思います。
- 出場機会をより確実に確保できること
- 欧州カップ戦でプレーする望みはあるが、それが必須の条件ではないこと
という2つがこのコメントの中からは読み取れます。
興味深いのは15歳〜17歳までの3年間しかセルタに所属していなかったにもかかわらず、社交辞令とはいえ「セルタに戻りたい」とここで公式に発言していることです。
ガリシア人としてのデニス・スアレスのアイデンティティーがそれなりに強く深いものだということが見て取れますが、同時にかつての所属選手がこうしたコメントを出してくれる状況が今のセルタにはあるのだということもセルタとしては収穫でしょう。
デニス・スアレスが移籍を決断した背景
デニス・スアレスは2011年にセルタBからイングランドのマンチェスター・シティへ移籍。3年間在籍したもののプレミアリーグでの出場がないまま2013年にバルセローナBに移籍。バルサBでは35試合7得点とそこそこの結果を残したものの、トップチームでは出番に恵まれませんでした。
2014年にセビージャへレンタル後、2015年にはビジャレアルへ完全移籍し33試合4ゴールと結果を残して2016年に再びバルサへ完全移籍で復帰しましたが、やはりバルサではレギュラーに定着することができないままアーセナルへ再レンタルされ現在まで至っています。
僕が最も重要視するのはスポーツ面でのことです。とにかく僕はプレーをしたい。自分がサッカー選手なんだと実感していたいんです。来シーズン終了後にはEURO2020がありますから、もちろんスペイン代表にも復帰したい。
欧州の国際舞台に行けることを目的にしたいと思っています。国外からもオファーは来ていますが、僕の最優先事項はスペイン国内での移籍です。
デニス・スアレスは上記のようにコメントし、とにもかくにもプレー機会を確保して2020年のEURO2020に向けてスペイン代表に復帰することを目標にしたいと明らかにしています。
デニス・スアレスは2016年にスペイン代表に初招集されていますが、出場は今のところ1試合のみでそれ以降は代表での実績がありません。
デニス・スアレスとしては何はなくとも出場機会を確保して代表へ復帰することを最優先事項として考えているということなのでしょう
そしてこの「スペイン代表復帰」という目標は非現実的だとは思えません。
テクニカルなドリブルと繊細なボールタッチをあわせ持ち、鋭いパスを供給でき強烈なシュートやFKを蹴ることもできるデニス・スアレスはビッグクラブでなくともチーム戦術次第で活きる選手です。
タイプとしてはヴィッセル神戸のアンドレス・イニエスタやかつてのシャビ・エルナンデスに通じるタイプの選手であり、セルタにとっては中盤〜前線にかけての欠落したピースを埋める存在になりうるでしょう。
ただし、セルタにとって問題になるのはデニス・スアレス獲得に必要な移籍金の捻出と、デニス・スアレスがセルタを選択するために魅力的な計画を提示できるかどうかです。
デニス・スアレスの移籍金は2,000万ユーロに設定されていると言われており、マキシ・ゴメスを巡る移籍交渉が現時点で進んでいない現状ではセルタにとって2,000万ユーロは確実に捻出できる金額とは言い難い状況です。この点に関してデニス・スアレス本人は以下のようにコメントしています。
経済的な面に関しては僕が立ち入る話ではないと思っています。バルセローナは僕を移籍させるためにいくつかの条件を設定するはずですし、それらのことに関しては各クラブ間での交渉事になってしまうので。
セルタにはかつてのチームメイト。バレンシアにはマルセリーノの存在。
セルタは現在かつて手放したカンテラ出身選手の買い戻しを画策しており、その代表格がバレンシアのサンティ・ミナであり、今回のデニス・スアレスです。
デニス・スアレスがセルタBで過ごしていた時代のチームメイトとしてはイアゴ・アスパス、ウーゴ・マージョ、セルヒオ・アルバレス、ルベン・ブランコ、そしてブライス・メンデスがトップチームでプレーしています。
このことに関してデニス・スアレスは
彼らは全員チームメイトでしたし、当然今でもいい友人です。ただ、今はそれだけしか言えません。既にコメントしたように、彼らと再び一緒にプレーできるのかどうも含めて、答えは数週間以内に出せると思います。
と無難な回答をするに留めています。
デニス・スアレスを取り巻く環境については様々な憶測や噂がカタルーニャのメディアによってこれまで報じられてきていますが、本人はその報道内容にかなりの不満を持っているようです。
カタルーニャメディアが報じている内容は嘘ばかりなので目にしないように最近ではTwitterの通知もオフにして見ないようにしています。アーセナルではプロらしくない振る舞いを続けていたとか、そういった嘘ばかりの情報を目にするのはうんざりなので。目にしてしまうと思わず反応してしまいますし。少なくとも、僕のプロフェッショナルとしての振る舞いを疑うことは誰にもできないはずだと信じています。
また、ビジャレアルで充実したシーズンを過ごしていた当時の監督マルセリーノ・ガルシア・トラルが現在バレンシアを指揮しており、そのマルセリーノ本人がバレンシアに対してデニス・スアレスの獲得を要請しているという噂に関してもコメント。
はっきりしているのは、マルセリーノは僕がこれまで出会った監督の中では最高の監督だということです。彼は僕の才能と能力を最大限発揮させる手法をよく理解して実践してくれました。
彼がバレンシアを指揮しており、バレンシアが僕の獲得に興味を示しているということも当然今後の可能性の1つではあります。ただし、その可能性というのは他のいくつかの可能性と同じ種類のものだということです。
ミナとスアレスの例から考えるセルタの将来的な経営方針
前向きなコメントを残しているとはいえ、だからといってデニス・スアレスのセルタ移籍が現実味を帯びたものなのかどうかは現時点で全く不透明です。
しかしサンティ・ミナとデニス・スアレスの買い戻しを画策しているセルタの動きからは、今後セルタがどのような方針を取ろうとしているのかが読み取れるのではないでしょうか。
過去25年〜30年間のセルタの経営はほぼ自転車操業に近いものでした。
特に1997年〜2004年、セグンダAに降格するまでの7年間はそれが顕著で、98−99シーズンから降格するまでの間にUEFAカップを始めとした欧州カップ戦に連続出場していたこともあり、毎年のように各国の代表クラスかそれに近い実力を持つ選手を獲得。
その獲得資金はUEFAカップへの出場ボーナスとテレビ放映権料。それに実績を担保とした銀行からの借り入れを元にしたものでした。
結果がある程度出ているうちは資金調達もそこそこ順調に行くこの手法は、裏返すと実績が出なくなれば使えなくなることを意味します。
そして残ったのは銀行借り入れという多額の負債であり、その返済にあてるために必要だったのが主力選手の売却でした。
はっきりとは覚えていませんが、確か2005年の段階でセルタの負債は6000万ユーロ前後はあったはずです。
2006年に会長に就任したカルロス・モウリーニョがまず第一に改善しようとしたのがこの財政面で後手に回ったクラブの経営体制であり、その延長線上にあるのが選手の育成と売却による継続的な利益の確保です。
いわゆる「痛みを伴う改革」を推進したモウリーニョには今でもファンの中に反対派がいますが、13年たった今、徐々にモウリーニョの改革が実を結びつつあることを僕は感じています。
例えばサンティ・ミナとデニス・スアレスに関して言えば、彼らがプロとしてバレンシアやバルサのようなビッグクラブでプレーできるきっかけとなったのはセルタのカンテラでキャリアをスタートしたことがベースにあるのは間違いありません。
セルタのカンテラからヨーロッパでも有数のクラブに移籍できたということは、セルタのカンテラにおける選手指導が一定のレベルで高い水準を持っており、そのこと自体がセルタのクラブとしての価値の1つになりつつあるということを示しています。
サンティ・ミナが19歳でバレンシアに移籍した時、ファンの多くはその放出を悲しみました。「なぜ将来クラブの看板になる可能性がある選手をこうも簡単に手放すのか」という感想や意見が数多く聞かれましたが、ミナの移籍から4年たった今となってはミナを売却したクラブの意図が僕にはなんとなくわかる気がします。
19歳という年齢は確かに将来性のある年齢で、丁寧に育てれば今頃はアスパスと並んでセルタの看板選手的な存在になっていた可能性はあるでしょう。
しかし、ミナがバレンシアへ移籍した2015年当時のセルタはプリメーラ昇格から3年しか経過しておらず、継続的にプリメーラ・ディビシオン残留を果たせる強固で安定したチーム作りの真っ最中でした。
エドゥアルド・ベリッソはまさにそのために招聘された監督で、ベリッソの在任中に出場したヨーロッパリーグは言ってみればボーナスでしかありません。クラブとしてもヨーロッパリーグには重点を置いていなかったことは明らかで、ヨーロッパリーグ出場に備えるための選手獲得というものは行われていません。
つまりセルタは今現段階においても継続的にプリメーラ・ディビシオンでプレーするための体制づくりのプロセスを進めている段階であり、経営陣として考えているのは「そのために何をしておくべきか」という段階だと僕は考えています。
僕が推測している経営陣の考え方は以下のとおりです。
- 移籍に頼らない良質な選手の継続的な育成と排出
- 地元、もしくはクラブ出身選手のトップチームにおける比率の向上
- 19歳〜23歳までのカンテラ出身選手の早期売却
- 1〜2の早期実現による選手獲得コストの削減
- 3の実施による売却益の継続確保
マーケティングやブランディング活動も継続的に行われていますが、プロサッカークラブの経営で最も重要なのはファンの継続的なスタジアムへの来場とそれに伴うチケット売上収入。そして関連グッズの販売です。
自クラブで育った選手がトップチームでプレーすることにより地元の意識は当然セルタに向きますし、自前で育てた選手がトップチームに定着し続けることによって移籍による獲得を行うための支出は減り、各種売上の利益は相対的に増大します。
若年層の選手売却は確かに資産の放出という見方もできますが、セルタのトップチームよりも多くの経験を積むことができ、実績と才能に恵まれた監督のもとでプレーする機会を得ることができれば、セルタでプレーし続けるよりも成長の度合いは高まるでしょう。
一種の投資でありギャンブルでもありますが、自前で苦労して育てながら不満を抱えられてしまうよりも、一旦は売却することでセルタとして資金を確保しながら、将来的に25歳や28歳の脂の乗った時期に機会を見つけて戻ってきてもらう方が選手本人との交渉もしやすくクラブとしても育成のプロセスをショートカットすることができます。
僕は100%カルロス・モウリーニョ支持者ではありませんが、僕の推測が正しいと仮定すれば、彼が指揮するセルタの経営陣による現在の戦略は理に適ったものだと納得できるものではあるのです。
そしてそのような手法は、カルロス・モウリーニョ以前のセルタ・デ・ビーゴには存在しない理論であり戦略であり、手法でした。
サンティ・ミナにしてもデニス・スアレスにしても、評価の高まっている時期に買い戻しを検討した場合は移籍金の額は現在報道されているよりもはるかに高いものだった可能性がありますし、出場機会を失っている現在の状況をよく見て獲得に乗り出しているところを見れば、セルタの経営陣がかつて放出した選手達の状況を継続して追っていたことは明らかです。
サンティ・ミナとデニス・スアレスの名前がこのタイミングでセルタの獲得リストに出てきたことが、決して場当たり的な計画には思えない要素が実際にいくつも確認できるわけです。
恐らく今後もセルタがこの経営方針を大きく転換することは無いでしょう。
創立95周年を迎え、あと5年で100周年を迎えるセルタ。
現在73歳のカルロス・モウリーニョ会長はセルタが100周年を迎える2024年には78歳になり、セルタ会長として在任18年を数えることになります。
もしかしたら、モウリーニョが費やしてきたこの13年間というのはセルタ創立100周年に向けての布石であるのかもしれません。
100周年を迎えようとする時、セルタ・デ・ビーゴがどんな経営方針と戦略をとっていくのか、僕はちょっと楽しみです。