2009年時点でセルタの負債総額は6700万ユーロ
これまで何度も「モウリーニョ会長の経営改革によってセルタの経営状態は改善している」と僕は書いてきました。
2009年6月30日、つまり2008−2009シーズンが終了した時点でセルタの負債は6733万7010ユーロ(約82億円)で債務超過の状態にありました。ちょうどカルロス・モウリーニョがセルタの会長に就任してから2年後のことです。
2005年の時点ですでに「このままでは破産宣告される危機にある」という噂は流れていましたが、それまでの20〜30年間で同様の状態から破産宣告を受け、プロサッカークラブとしての活動が不可能になったクラブは2000年に累積赤字と負債を返済できなかったことにより解散したメリダぐらいのものでした。
似た状況に陥っていたアトレティコ・マドリー
1990年代後半〜2000年代初頭のアトレティコ・マドリーも債務超過の状態に陥り赤字であるとも言われていましたが、当時の会長ヘスス・ヒルによる政治的な働きかけもあり、実際には実質的な破産状態にあると言われていたものの様々な手段を講じて会計監査をすり抜け、数年間は何ごともなかったかのように振る舞っていたのです。
ところがスペイン国内の不動産バブルが弾け始めた2000年頃から、スペインの税務当局はRFEF(王立スペインサッカー連盟)、LFP(スペインプロサッカー連盟)に対して各クラブの財務状況健全化に一層の努力を促し監視体制を強化するよう圧力をかけ始めました。
特にアトレティコ・マドリーへの締め付けは厳しく行われたのですが、これはヘスス・ヒルが市長を務めていたマルベージャ市の公的資金を、ヒルが不法にアトレティコの強化費用として流用している疑いが強まっていたことが理由でした。
マルベージャは地中海のコスタ・デル・ソルに面した町で、俳優のアントニオ・バンデラスや女優のペネローペ・クルス、ハビエル・バルデムなどが訪れることで有名な高級リゾート地です。
観光収入と観光客をターゲットにした短期滞在者用の建設業によるバブルで多額の税収を得ていたマルベージャ市は、ヘスス・ヒルの手によってアトレティコの「財布」と化し、一時期はアトレティコの胸スポンサーとして「MARBELLA」の文字が堂々と踊るほどでした。
そのヘスス・ヒルも2003年にはついに訴追を免れずに失脚。同時にアトレティコは資金源を失い、クラブの経営に深刻な問題を抱えることになったのです。
例えば1999−2000シーズンに獲得しブレイクの予感を漂わせていたオランダ代表FWジミー・フロイト・ハッセルバインクの売却やフェルナンド・トーレスのリヴァプール移籍はこの財政危機が影響していたと言われています。
それでもアトレティコが表面上は何ごともなく(実際には管財人がクラブ経営陣に入り大量の選手売却を余儀なくされました)活動を続けていられたのは、アトレティコがアトレティコだったから、ということが少なからず影響していたでしょう。
セルタはどのように負債を返済してきたのか
2000年代初頭のアトレティコの場合、国内外の有力選手や各国代表選手が在籍しており、いざとなれば主力選手を大量に売却することで財政面での改善が図れるメドが立っていました。
そのため管財人は次々と主力選手の売却をクラブに指示。時にはビセンテ・カルデロンで暴動に近い騒ぎになり、過激なファン達がビセンテ・カルデロンのクラブ事務所に詰めかけたとしてもなお、お構いなしに所属選手達の売却を進めていきます。
フアン・カルロス・バレロン、サンティアゴ・ソラーリ、ジミー・フロイト・ハッセルバイックやホセ・フランシスコ・モリーナを始め、当時のアトレティコをリードしていた選手達は次々と売却されていきました。
セルタの場合を振り返ってみると、当時のセルタにはお世辞にも「高く売れる選手」はいませんでした。
2度に渡るセグンダAへの降格でテレビ放映権料は大幅に減り、起死回生を狙って獲得したネネ、イリネイ、フェルナンド・バイアーノらの活躍でUEFAカップへ再出場を果たしたものの、翌年にはまたしても降格。
安い実力者を買い集めて欧州カップに出場し、そのテレビ放映権料と出場ボーナスで負債を返済していくという当初の目論見は完全に外れ、セルタは泥沼のセグンダ地獄を過ごすことになります。
ハッキリとは明らかにされていないものの、恐らく僕の予想ではこの時期を境にモウリーニョはカンテラ主義を強めていったのだろうと考えています。
もともと企業経営に手腕を発揮し複数の企業を経営していたモウリーニョは、こうした財政難への対処の仕方を心得ていたという側面がありました。
とはいえ、状況は例えて言うなら以下のようなものです。
大した目玉商品も持たない中小企業が破産の危機に直面しており、負債の返済を迫られている。
当てにしていたお客からの支払いは自社の業績悪化もあり思い通りの金額が支払われず、売上が増大する見込みもない。
有望な中途採用の社員は次々に退職し、残っているのは経験がない新卒の社員のみ。
なかなかに厳しい状況なのがわかると思います。
ここでモウリーニョが取ったのが、「負債の減額交渉」と「手当たり次第に選手を売り捌く」という綱渡りのような策でした。
しかも負債金額の減額交渉をしながら、同時に返済用の資金を当時のメインスポンサーの1つである地元地方銀行Caixanova(カイシャノバ=現在のABANCA)から借り入れるという強硬策までとっています。
これはつまり、「借金を借金で返す」という多重債務者がよく陥るパターンそのものでした。
しかし、信じられないことにこの策が成功します。
Caixanovaは資金を貸付け、フベニールを含めたセルタのカンテラ選手達が身につけるユニフォームの胸スポンサーを引き受け、さらにトップチームのパンツスポンサーすら受け入れました。
現在バライードスのネーミングライツが「ABANCAバライードス」になっていることや、バライードスのスタンド看板がほとんどABANCAのものになっているのはこの時期のABANCA=旧Caixanovaによる支援に対するセルタなりの恩返しと言えるでしょう。
セルタはさらにカンテラ所属の選手達やトップチームの将来有望な若手選手を次々に売却します。
この時に売却された選手の1人が今回バルサから獲得したデニス・スアレスだったというのが何とも皮肉な話ではないでしょうか。
いずれにせよ、モウリーニョのギャンブルはなぜかことごとく功を奏します。
最終的に決定したのは
- 負債総額6700万ユーロを5695万ユーロまで減額
- 翌年までに3000万ユーロを一括で支払うこと
- 残りは10年間の分割払い
という破格の条件でした。
これ以外にもモウリーニョが自身の経営するGES社を通じて保有していた57%に及ぶセルタの株式を担保に入れることなども含まれていましたが、何はともあれモウリーニョの強硬な交渉によってセルタは破産宣告とクラブの消滅という危機を乗り越えることができたわけですが、その代償は5年間のセグンダA生活という苦しいものでした。
ここ10年間の間、セルタが躊躇なく主力選手を売却してきたのには上記のような懐事情があったことは言うまでもありません。
とにかく最優先は負債を返済すること。
支出を抑え、収入を増加させ、浮いた利益は基本的にほぼすべてを返済にあてる。
個人の生活でも企業活動でも、これほど苦しいことはありません。
稼いでも稼いでも、稼げば稼いだだけその分がそっくりそのまま出ていくのです。
想像するだけでも絶望的な気分になるこの状況を、それでもモウリーニョを始めとするクラブ経営陣は夢を語りながら切り抜けてきました。
自前で育てたカンテラ出身者達がトップチームであまねくプレーする未来
リアス・バイシャスと呼ばれる美しい大西洋のリアス式海岸の海の色とガリシアの空を模した「空色の」旗がたなびく明日
それら2つの宝を抱いて迎える2023年のクラブ創立100周年
ファンに愛された選手を迷いなく売却し、ファンから望まれた監督の退任を黙って見送り、数々の批判と糾弾には目をくれることもなくモウリーニョと経営陣は大局的な目的のためにセルタ・デ・ビーゴというクラブを運営し続けてきました。
このオフシーズン、これまでになくセルタが積極的に補強に動いているのには前述の負債総額がほぼ解消されるメドがたったことが影響しています。
赤字になるということは、支払った金額が入ってくる金額を上回り、利益が残らない状況であることを意味します。
債務超過で是正勧告が行われるということは、「おたくにはその金額を返済できる見込みはない」と第三者から宣言されたことを意味します。つまり金銭的、経済的に完全に信用を失ったという状態だったはずです。
レンタルでその場をしのぎ、あの手この手で買い取りを拒否し続けなんとかプリメーラ残留にしがみつきながら歯を食いしばって負債を返済し続けてきたセルタ・デ・ビーゴ。
もしかすると、この先のセルタは意外に健闘する日々を迎えることになるのかもしれません。