【体験記】バレンシアーノはカタルーニャの夜空に轟く(2)

La Liga情報

1999年2月27日 スペイン王国 カタルーニャ州 州都バルセローナ

リーガエスパニョーラ1998-1999シーズン
第24節
カンプ・ノウ
バルセローナ 2−4 バレンシア
30分:クライフェルト
79分:クライフェルト
得点者 4分:イリエ
37分:クラウディオ・ロペス
82分:アングーロ
87分:クラウディオ・ロペス
監督
ルイス・ファン・ハール クラウディオ・ラニエリ
背番号 先発選手 背番号 先発選手
13 へスプ 1 カニサーレス
12 セルジ 3 フアンフラン
5 アベラルド 5 デュキッチ
25 フランク・デ・ブール 15 カルボーニ
18 ロナルド・デ・ブール 12 ビョルクルンド
4 グァルディオーラ 16 ロシュ
6 オスカル 6 メンディエータ
15 コクー 8 ファリノス
21 ルイス・エンリケ 23 アングーロ
11 リヴァウド 7 クラウディオ・ロペス
19 クライフェルト 11 イリエ
交代
23 ゼンデン 18 ポペスク
8 セラーデス 25 ソリア
9 アンデルソン 10 シュヴァルツ

第1話はこちら

【体験記】バレンシアーノはカタルーニャの夜空に轟く
現地観戦記第3弾「1999年バルサ対バレンシア」第1回をお届けします。初めてスペインに降り立ってから数週間。衝撃的なカウンターで世間を驚かせていたバレンシアを、僕は眼前で体験することになります。

第3話はこちら

【体験記】バレンシアーノはカタルーニャの夜空に轟く(3)
現地観戦記第3弾「1999年バルサ対バレンシア」第3回。ランブラス通りで初めてカタルーニャ語に触れた僕は、いよいよ試合に向けてカンプ・ノウに向かいます。そこで僕は予期せぬ再会を果たし、そして時は動き出すのでした。

見知らぬ町の見知った顔

「どこかで見たことのある顔」だと思ったのはそのはずで、僕の目の前にいた彼は1990年代から海外サッカーを見ているファンなら恐らくほとんどのファンが見知っている人物のはずでした。

どうにかこうにかたどり着いたFCバルセローナのホームスタジアム、カンプ・ノウの駐車場でファンに取り囲まれているのは元オランダ代表DFロナルド・クーマンでした。

濃紺のスーツにえんじ色のネクタイという、見方によっては「ブラウ・グラーナ」とも言えるコーディネートのクーマンは、気を付けていなければ銀行の部長のような雰囲気を醸し出していました。

面白かったのは子供達には腰をかがめてサインをし丁寧に写真撮影にも応じていたのに、大人たちが同じことをねだると不愉快そうな顔で断っていたことです。

その当時の僕のスペイン語力はたかが知れていたのではっきりと何を言っているのかまではわからなかったのですが、少なくとも言われたほうが愉快な気持ちになる言葉ではなかったようでした。

僕はこの時のクーマンの様子を、2000年代にバレンシアの監督に就任し、サンティアゴ・カニサーレスやダビ・アルベルダなど当時の主力をいきなり戦力外扱いにして大揉めに揉めた時に際に思い出したのですが、この時点ではまさかクーマンがそのような暴挙に出るとは想像することすらできなかったのです。

早朝、サンツ駅にて

1999年2月27日の早朝にバルセローナのサンツ駅へ約13時間の道のりを経て夜行列車で到着した僕は、サンツ駅の構内にあるバルでコーヒーと一緒にトルティージャ(スペイン風オムレツ)を頼んで朝食とし、微妙に眠い目をしばたたかせながらガイドブックとにらめっこすることになりました。

何しろ僕はバルセローナに来るのは初めてです。というより、つい数週間前にスペインに来たばかりで、それこそ右も左もわからないヒヨコのような状態でした。

とはいえここまでの数週間でセルタの試合を含め数試合を観戦した経験を積んでいた僕は「たどり着いてしまえばなんとかなるだろう」という楽観的な気持ちでいたのは確かです。

当時持っていたガイドブックは泣く子も黙る「地球の歩き方」だったのですが、そこに載っている地図ではいまいちわかりにくかったので、僕はいつものように「i」のマークをサンツ駅で探そうと決め、朝食を食べていたバルのカマレーロ(ウェイター)に500ペセタを渡してバルを出て駅の中を歩き出しました。

「i」マークというのはスペインの街中にある観光案内所のマークで、観光立国であるスペインにはこのマークを付けた場所が主要な鉄道の駅や空港、バスターミナルなどには大抵の場合は必ずあることを僕は学んでいました。

この観光案内所はけっこう便利で、訪れた町の詳細な地図をもらえて、しかもその地図には広告費を払ったレストランやホテル、観光ツアーの情報などが載っていることもあります。事前に情報収集を行っていない場合でも案内所で観光地図をもらって中身をよく見れば、大抵のことはわかるというすぐれものだったのです。

案内所を見つけて近づいてみると、明らかに暇そうで退屈そうにしている女性が1人、座ったままヤスリで爪を黙々とといでいました。

「あの〜」と話しかけても彼女は真っ赤な爪をひたすら鋭くする作業に熱中しており、僕のことなど一瞥すらしません。

2回か3回「あの〜」と話しかける作業を繰り返すと、彼女はようやく武器にでもなりそうな爪から目を離し、僕を見て心の底から面倒くさそうな表情で「なに?」と返事をしてくれました。

地図が欲しいんですが、とたどたどしいスペイン語で僕が言うと、彼女は手元から面倒くさそうに地図を何セットか取り出すと、「これ」とだけ言って目の前のカウンターにバサッと放り出したのでした。

いくつか種類があるのかと思って念の為中身を見比べてみたのですが、結局並べもせずに放り出されたその地図達は全て同じもの。

目的の物が手に入ったので「ありがとう」とだけ言って僕はその場を離れてゆっくり地図が見れる場所を探すことにしたのです。

ちなみに、スペインでこういう対応をされたことはこれが初めてではありません。

スペイン人の名誉のために言っておくと、この対応はなにも僕が日本人というか東洋人だったからではないのです。恐らくこれがアメリカ人でもドイツ人でもフランス人だったとしても、彼女は変わらず同じ対応をしたでしょう。

もちろんニコニコと愛想よく応対してくれるサラマンカの旅行代理店アルコン・ビアヘスのお姉さんのような人もいるのでそこは人それぞれだと言わざるを得ないのですが、その後の経験から僕が学んだのは「外国においてサービス業はサービスではない」ということです。「お客様は神様」などとは彼女たちは微塵も思っていませんし、恐らく未来永劫思うこともないでしょう。

スペインで生活する上で、こういった対応にいちいち神経を尖らせるだけ無駄だということをいち早く学べたことは僕にとって恐らくいいことでした。

それはともかく、僕は地図を広げて見るために再びさっき朝食を食べたバルに戻ったのですが、開口一番さっき500ペセタを渡したカマレーロが「またお前か」とゲラゲラ笑い出しました。

ひらひらと地図を見せると「ああ、なるほど」という顔をして納得してくれたようなので、僕は今度はコーヒーだけを頼み、カウンターで地図を広げたのです。

バルセローナ・サンツ駅からカンプ・ノウまでの距離は実際には大したものではなく、歩けば15分程度のものだったのですが、もちろんその時点での僕にそんなことは知る由もありません。

最終的にしばらく地図を睨みつけた結果わかったのは、何のことはない、「サンツ駅からカンプ・ノウまでは歩いていける」という至極単純な事実でした。とはいえ距離にしてだいたい3km程度。真冬の早朝に寝ぼけながら歩いても良いものかと少し躊躇したのですが、日も昇っていて明るいし、散策がてら歩いてみようと僕は決め、コーヒー代の125ペセタをカウンターに置いて僕はバルを出ることにしました。

カンプ・ノウ

時間は朝8時半を回ったあたり。土曜日の早朝ですから歩いている人もさほど多くはありません。ジャージでランニングする人や、犬の散歩をしている夫婦やカップルなどを横目に見ながら、僕は頭に叩き込んだ(つもりの)地図に従ってカンプ・ノウを目指して歩き続けました。

歩きながら僕はあることに気付いたのですが、そもそもカンプ・ノウのチケット売り場が何時から開くのか、僕は全く知らなかったのです。

あるき始めてから20分が過ぎようとする頃にふとそのことに思い至り、「土曜日は午後からしか開かない」とか「当日は試合開始数時間前でなければ開かない」というようなことだったらどうしようとビクビクし始めることになりました。

これが試合前日だということであればまだ1日余裕があることになりましたし、開いていなければ宿に荷物を置いて一休みしてからにするか、と落ち着いて考えることもできたのですがこの日は試合当日です。

仮にチケットが買えないなどということになれば、何のために12時間もかけて電車で移動してきたのかということになりかねません。

2019年現在であれば、バルサの試合チケットは公式サイトからインターネットで直接購入することができるのでそんな心配はいらないわけですが、1999年当時のスペインにおけるインターネット環境は思い返してみると絶望的なものでしたし、そもそも当時はネット購入そのものが2019年現在ほど一般的なものではありませんでした。

基本的にバルサの試合チケットはカンプ・ノウでしか買えませんでしたし、レアル・マドリーの試合チケットはサンティアゴ・ベルナベウしか買えない、というように大前提として「試合のチケットはスタジアムで買う」というのが当たり前の常識だったのです。

てくてくと道なりに歩きながらチケットとチケット売り場の時間を気にしていた僕の視界の片隅に、やや傾いた傾斜の大きな建造物がちらりと映りました。

近づくほどにすり鉢状に傾いた外観が大きくなっていき、しばらくすると目の前にはそびえ立つ巨大なスタジアムが僕の目の前に鎮座ましましていたのでした。

FCバルセローナのホームスタジアム、カンプ・ノウ。

カタルーニャ語で「新しいグラウンド」を意味し、99,800人を収容するこのスタジアムはホームとして使用するバルサの伝説的試合をいくつも見届けきたスタジアムです。

この数カ月後にはデイヴィッド・ベッカムやロイ・キーンを擁するマンチェスター・ユナイテッドとローター・マテウスやシュテファン・エッフェンベルクが率いたバイエルン・ミュンヘンとのチャンピオンズリーグ決勝において、歴史に残る大逆転劇をも見届けることになるのですが、もちろんこの当時の僕にはそんなことを知る由もありません。

この前の週。2月21日にリーグ戦第23節のセルタ対バルサをビーゴで観戦して際に、初めてバライードスへたどり着いた時に僕は思わず涙が出るほど感動したのですが、目の前にそびえ立つカンプ・ノウが徐々に近づいていく様子はそれとまた違った感動を僕に与えていました。

世界で有数の規模を誇るクラブのホームスタジアム。

世界中のサッカーファンで知らない者はいないと思われる名前を持つスタジアム。

誰もが一度は訪れてみたいと願ってやまない特別な場所が、平然と目の前に存在しているというこの感覚は何とも言えない不思議な感覚を起こさせるものでした。

テレビや雑誌で幾度となく見聞きし、そのピッチやスタンドの様子を見知っているのに目の前に見るのは初めてであり、なおかつ数時間後には僕はこの中にいるつもりでいたのです。

なにかおとぎ話や物語の中に入り込んでいくような、説明しづらい不思議な感覚を持ったまま、僕はカンプ・ノウの外周を歩きながらチケット売り場を探しました。

外周を回っていればいつかたどり着くだろうと考えながら数分歩いていると、カンプ・ノウのメインスタンド方面へ続くゆるい下り坂の途中に人の列が目に入り、そこを目指して更に歩いていくとまさにその列の先がチケット売り場であることがわかりました。

時間は朝9時を少し過ぎたところ。果たして売り場が開いているのかどうかはわかりませんでしたが、人混みにたどり着いてその先を見ると、黒い電光掲示板に赤い字で「Taquilla=チケット売り場」と書いてあるのが目に入ったため、僕はホッと一安心することができたのです。

しかしチケット売り場にたどり着いたはいいものの、明らかに窓口にはシャッターがおりていて開いている様子はアリません。そうなると問題は「何時に開くのか」ということでした。そしてけっこうな数の人が列を作っているところを見る限り、一般販売がありそうだと判断した僕は、一番近くにいた葉巻を片手に口からもくもくと煙を吐き出しているサングラスのおじさんに思い切って聞いてみることにしました。

「あの、いいですか?」

おじさんに声をかけると、彼はサングラスの奥からじろりと僕を眺め、一呼吸置いてから「なんだ」と返事をしてきました。

「これ、何時に開きますか?」

と尋ねた僕に、おじさんは「もうすぐだ」と答えました。

スペイン語圏における「もうすぐ」ほど当てにならないものはありません。

5分後のこともあれば30分後のこともあるし、人によっては半日後を「もうすぐ」だと言い切る人もいるのがスペイン語圏です。もちろんこの当時の僕はそこまでのことを理解しきってはいなかったのですが、少なくともこのおじさんが言う「もうすぐ」が5分や10分後のことでないだろうということは予想が付きました。

念の為に「30分ぐらい?」と尋ねると、おじさんは少し考えてから「まあ、だいたいそのぐらいだろう」と返事をしてきます。

この時の考える様子がどうにも不安を掻き立てるものだったために本当に大丈夫だろうなと思っていると、おじさんの前に並んでいた長身金髪の二人組が英語で「40分ぐらいで開くよ。この列はソシオ向けの列だから、隣の一般販売列にいくといい」と教えてくれました。

言われてからよく見てみると列は2つに別れており、金髪の彼らが言う「ソシオ列」のほうが人が多く見え、一般列の方が並んでいる人の数は少なく見えました。

不思議そうに眺めつつ一般列に並び直すと、ちょうど金髪の二人組が隣に来る格好になり、彼らは「君、どこから来たの?」と話しかけてきました。正直僕は英語が得意ではないので困ったなと思いつつ、せっかく話しかけてくれたのもありますし必死に「日本から来ました」と答えたのですが、その瞬間彼らはスペイン語で「日本だってよ、すげーな」と言い始めました。

「スペイン語で話してもいいですか?英語苦手です」と僕が言うと、彼らは驚いたような顔をして「なんでスペイン語が話せるんだ!」と笑いながら尋ねてきます。

真後ろでおじさんに話しかけた時、僕は明らかにスペイン語で話していたはずなのですが、彼らは何を聞いて僕に話しかけてくれたんだろうと不思議な気持ちになりつつ、留学に来ていてスペイン語を学んでいることを説明することにしました。

他にもあれこれ話していた記憶はあるのですが、見知らぬ人と顔を突き合わせて話す経験がまだあまりなかった当時のことなので、正直どんな会話だったかよく思い出せません。

感じの良い二人組みだったことはよく覚えているのですが、それよりもその直後に現れた5人組のほうが印象が強烈で、そちらに脳みその記憶容量を奪われているのでしょう。

バレンシアーノ?

突然真後ろから、「Amunt、Valenciaaaaaaa!!!」という絶叫が聞こえ、どう聞いてもバレンシアのものとしか思えないチャントを歌いながら、白いシャツに「Terra Mitica」のスポンサーロゴが入ったバレンシアのユニフォームを着た5人組が僕の真後ろに並びました。

列に並んでいる人達は明らかにバルサのファンで、中には試合開始が10時間以上先なのに既にユニフォームを着込んでいる人までいます。そんなところにわざわざバレンシアのユニフォーム姿で現れるとは、この時の僕からすれば自殺行為なのではないかとすら思えたのですが、意外にも周りのバルサファンの反応はその5人組を面白がっているように見えました。

数メートル先の列の向こうから、聞き取れるようで聞き取れない言葉で何かを叫ぶ人が現れ、その言葉を聞いた人達が一斉に笑い出します。

僕の後ろの5人組はその声に対して、またしても聞き取れるようで聞き取れない不思議な言葉で何かを言い返していました。

何が起きているのかわからないという顔をしながらキョロキョロと彼らを交互に眺めていると、隣の列の金髪二人組が「カタルーニャ語で話しているんだよ、彼らは」とスペイン語で教えてくれました。

ところがその「カタルーニャ語」という言葉に反応し、後ろの5人組の1人が笑いながらこれもスペイン語で

「何がカタルーニャ語だ!これはバレンシアーノ(バレンシア語)だ!」

と叫んだのです。

そしてまたしても沸き起こる笑い声。また別の人が「同じだ!」と叫び、5人組は「違う!ビバ、バレンシアーノ!」と言い返します。

そうこうしているうちにチケット売り場が開き、僕が並ぶ一般販売列は思っていたよりもサクサクとさばかれていきあっという間に僕の順番が来ました。

スタンドの場所や席の位置は、空きがあればある程度選べることはこれまで見に行った数試合で知っていたので、窓口の人に「席のマップを見せて欲しい」と頼むと、窓口のおばちゃんはちょっとめんどくさそうな顔をしながらも愛想笑いを浮かべながらスタジアムマップを見せてくれました。

目を皿のようにしてチェックします。

何しろ僕がカンプ・ノウで体験したいと思っていたことや見たかった光景は、席の場所に左右されるのですから、この瞬間に最重要事項が決まると言っても過言ではない状況でした。

メインスタンド。中央寄り。選手入場口になるべく近い場所。

一度でいいから見てみたい、体感したいと僕が思っていたことは、どうしてもそこで実現したかったのです。

はたしてその場所のチケットを無事に買うことができ、バルサとリーガエスパニョーラのロゴ入りチケットを手にした瞬間、僕は思わず天を仰いでガッツポーズをしてしまったのですが、それをニコニコと見ていた後ろのバレンシアファン5人組が、「勝つのはバレンシアだからな!」と笑いながら声をかけてきました。

隣の列で話に付き合ってくれた金髪の二人組は「良かったね、試合楽しんで!」と言いながら自分達のチケットを確保したのか手を振りながら去っていきます。

ホッとしながら振り返ると、バレンシアファン5人組はああでもないこうでもないと言いながら席の場所を決めているようでした。念願の場所で観戦できるチケットを手にしたことで、僕も相当テンションが上っていたのでしょう。

なぜか僕は彼らに「Buena suerte!(幸運を)」と声をかけてその場を離れることにし歩き出しました。

彼らから返ってきた返事は「勝つのはバレンシアだからな!」というさっきと同じ一言でした。

つづく

第1話はこちら

【体験記】バレンシアーノはカタルーニャの夜空に轟く
現地観戦記第3弾「1999年バルサ対バレンシア」第1回をお届けします。初めてスペインに降り立ってから数週間。衝撃的なカウンターで世間を驚かせていたバレンシアを、僕は眼前で体験することになります。

第3話はこちら

【体験記】バレンシアーノはカタルーニャの夜空に轟く(3)
現地観戦記第3弾「1999年バルサ対バレンシア」第3回。ランブラス通りで初めてカタルーニャ語に触れた僕は、いよいよ試合に向けてカンプ・ノウに向かいます。そこで僕は予期せぬ再会を果たし、そして時は動き出すのでした。
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